徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2013年 7月 14日

山紫水明処 その4

 

山紫水明処(さんしすいめいしょ)その4 2009年12月10日訪問 山紫水明処   文政5年(1822)11月 ~ 天保3年(1832)9月                    9年10ヶ月  山陽は両替町押小路の家(薔薇園)に入居した年から早くも転居を考え、新しい家の物色を始めていた。緊まりのない町中が、学者文人の住む環境でないことに気が着き、鴨川や東山の景観との別れに惜しみを感じるようになってきたためであろう。そして終の棲家となる場所を探し始めたとも言える。 文政4年(1823)9月には東三本木丸太町の地に見込みをつけている。しかし狭斜(中国長安の道幅の狭い遊里のあった街の名)の巷… ►続きを読む

 

山紫水明処 その3 

 

山紫水明処(さんしすいめいしょ)その3 2009年12月10日訪問 山紫水明処  木崎好尚の「百年記念 頼山陽先生 増補版」(頼山陽先生遺蹟顕彰会 1933年刊)の年譜に従うと、文化8年(1811)の入京以来下記のように転居を繰り返していることが分かる。文化8年 (1811) 閏2月 入京 新町通丸太町上ル春日町に開塾文化9年 (1812) 正月 車屋町御池上ル西側に転居文化12年(1815) 6月 二条高倉へ転居文政2年 (1819) 3月10日 先発帰京、二条木屋町仮寓文政4年 (1821) 4月26日 両替町押小路上ル東側に転居             (薔薇園)文政5年 (182… ►続きを読む

 

山紫水明処 その2

 

山紫水明処(さんしすいめいしょ)その2 2009年12月10日訪問 山紫水明処 頼山陽山紫水明処  山紫水明処では、頼家の系譜と頼山陽の生涯について記した。ここでは頼家の系譜に就いてまとめてみる。なお下記の略系は木崎好尚の「百年記念 頼山陽先生」(頼山陽先生遺蹟顕彰会 1933年刊)による。初代:正茂 -2代:道喜 -3代:良皓 -4代:亨翁                         |     --------------------    |5代:春水 -6代:聿庵 -7代:誠軒 -8代:弥次郎                         |     -----------… ►続きを読む

 

山紫水明処

 

山紫水明処(さんしすいめいしょ) 2009年12月10日訪問 山紫水明処 東三本木通に面した路地  頼山陽書斎山紫水明処の道標に従い、丸太町通より北に上ると直ぐに道は左右に分かれる。左の道は西三本木通、そして右は東三本木通と呼ばれている。新三本木の町並み その2でも書いたように、新三本木は南北に走る東三本木通に面した区域で、北側から上之町、中之町そして南町で構成されている。山紫水明処は最も南に位置する南町の鴨川に面した場所に建てられている。 頼山陽は江戸時代後期の儒者で安芸の人。名は襄、字は初め子賛、後に子成、通称は久太郎で山陽は号。他に三十六峰外史、改亭、悔亭そして憐二などといった時代… ►続きを読む

 

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