文書と写真・地図による「記憶」の再現

アーカイブ:2013年 8月 16日

立命館学園発祥地

 

立命館学園発祥地(りつめいかんがくえんはっしょうのち) 2009年12月10日訪問 立命館学園発祥地  京都府立医科大学付属病院内にある療病院碑を後にして河原町通を渡ると、広小路通が始まる。この通りの北側に赤御影石を使用した立命館学園発祥地の碑が見える。廬山寺から南側の敷地には現在は、平成4年(1992)竣工の京都府立医科大学附属図書館と平成5年(1993)竣工の看護学学舎が建つが、その東南角を借りるように記念碑が造られている。碑の建立年が図書館と一致することから、この地が整備された時に建碑されたのであろう。 東三本木町に建つ立命館草創の地でも既に記したように、この碑の地には、かつて清輝楼があり、清輝楼→茨木屋→あづまや→大和屋と変遷して行った。頼山陽も清輝楼を良く利用したようで、山陽亡き後… ►続きを読む

 

療病院碑

 

療病院碑(りょうびょういんひ) 2009年12月10日訪問 療病院碑  鴨川の西岸にあるみそそぎ川の取水口と思われる場所を確認した後、鴨川公園から京都府立医科大学付属病院の敷地を横断して河原町通に出る。その途中の旧附属図書館棟の前に療病院碑が建つ。 療病院については石田孝喜氏の「続・京都史跡辞典」(新人物往来社 2006年刊)に詳細な記述があるので、これを参考にまとめてみる。幕末維新時には200年間に及んだ和蘭医学が未だ主流であった。佐賀藩出身、佐倉順天堂で佐藤泰然、そして長崎精得館でオランダ人医師ボードインにより医学を学んだ相良知安は、文部省医務局長など歴任し、明治初期の医療行政において強引にドイツ医学の採用を推し進めた。また越前藩出身で坪井信良、坪井芳州、佐藤泰然の養子尚中等に医学を学び… ►続きを読む

 

みそそぎ川

 

みそそぎ川(みそそぎがわ) 2009年12月10日訪問 みそそぎ川 取水口と京都府立医科大学付属病院の位置関係  この日は梁川星巌邸址の碑を見つけることなく、再び川端通丸太町の交差点から丸太町橋を渡り西岸に戻る。ここより鴨川沿いの遊歩道に下りる。鴨川の西岸をみそそぎ川の取水口まで歩く。 古くより鴨川は氾濫を繰り返す暴れ川として知られてきた。これは大都市を流れる河川としては勾配が急であるためだ。北山の深泥池と九条の東寺の間には東寺の五重塔分の高低差があると言われる。単純に一様勾配とすると、凡そ8.7kmの間に55m下ることとなる。河川勾配で表すと1/158(158m下流で1m低くなる勾配)となる。これは都市河川としては急峻な流れである。そのため治水工事は平安京造営の頃から行われてきた。天長元年… ►続きを読む

 

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