文書と写真・地図による「記憶」の再現

みそそぎ川



みそそぎ川(みそそぎがわ) 2009年12月10日訪問

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みそそぎ川 取水口と京都府立医科大学付属病院の位置関係

 この日は梁川星巌邸址を見つけることなく、再び川端通丸太町の交差点から丸太町橋を渡り西岸に戻る。ここより鴨川沿いの遊歩道に下りる。鴨川の西岸をみそそぎ川の取水口まで歩く。
 古くより鴨川は氾濫を繰り返す暴れ川として知られてきた。これは大都市を流れる河川としては勾配が急であるためだ。北山の深泥池と九条の東寺の間には東寺の五重塔分の高低差があると言われる。単純に一様勾配とすると、凡そ8.7kmの間に55m下ることとなる。河川勾配で表すと1/158(158m下流で1m低くなる勾配)となる。これは都市河川としては急峻な流れである。そのため治水工事は平安京造営の頃から行われてきた。天長元年(824)には、鴨川の治水を担当する防鴨河使と呼ばれる官職が制定され、より積極的な築堤工事が行われるようになった。さらに貞観13年(871)には堤防の崩壊を防ぐため、川筋近辺での耕作禁止の命令が出されている。平安時代末期には既に現在のような連続した堤防が築かれていたと考えられている。それでも鴨川の氾濫が繰り返して生じるため、白河法皇の天下三不如意の一つとなった。 その後も豊臣秀吉による洛中を囲む24kmにも及ぶ御土居や江戸時代の京都所司代による寛文新堤などは都市防御だけではなく、市街地整備が主目的としていた。これらは鴨川の氾濫から市街地を守る治水対策としても高く評価されている。

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みそそぎ川 荒神橋

 DUITS というストックフォトを専門とするエージェンシーが運営されているOLD PHOTOS of JAPANというサイトに1890年代(明治23~32年)の鴨川の写真が掲載されている。この写真は三条大橋から上流側の西岸を撮影したものであるが、現在の鴨川とは大きく異なっている。鴨川の水面が非常に幅広く西岸の石垣まで川が迫っていることが分かる。さらに川中に中州があり人がそこへ入ることもできたようだ。現在では五条から三条にかけて川床が常設されているが、当時は夏場だけ床を張り、それ以外の期間は柱だけが立てられていたようだ。なおこの写真に見られる石垣は頼山陽の山紫水明処でも見ることができる。
 昭和10年(1935)6月29日に大水害が発生し、鴨川流域で死者12名浸水家屋2万4千戸以上、三条大橋、五条大橋を含む橋梁32橋が流出している。この水害を契機として近代的な治水工事が始まる。同年11月に「昭和十年六月二十九日鴨川未曽有の大洪水と旧都復興計画」が立案される。そして翌11年(1936)より鴨川改修が開始する。コンクリートを露出させない等の景観的な配慮がなされたのと共に、京阪本線や琵琶湖疏水の地下化、都市計画街路の設置などが計画された。昭和16年(1941)鴨川と高野川との合流部付近を葵公園としての整備が行われる。戦時中に一時中断はあったものの昭和22年(1947)には京阪本線周辺の左岸岸一部を残し改修工事を終了している。そして昭和54年(1979)からは京阪本線と琵琶湖疏水の地下化工事が始まり、8年の歳月を経て昭和62年(1987)には地下化については完了する。三条から出町柳の間の鴨東線の計画も昭和47年(1972)に着工、平成元年(1989)に開業している。左岸の未改修部分の工事は平成4年(1992)から始まり平成11年(1999)に完了している。

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みそそぎ川 荒神橋

 鴨川には古くから納涼床が設けられてきた。豊臣秀吉による三条、五条橋の架け替えなどが行われると、河原には見世物や物売りが建ち並び賑わうようになる。それに伴い富裕な商人が見物席を設け、茶店が作られるようになる。これが納涼床の始まりとされている。さらに江戸時代に入ると、上記のような鴨川の治水工事が進み、石垣や堤が整備され付近には花街が形成され歓楽街となる。この時期、祇園祭の神輿洗いでは見物客で大変賑わったとされている。江戸中期には約400軒の茶屋が床机の数を定めるなど、その運営に関する組織化も進んできた。当時は浅瀬に床机を置くか、鴨川の砂洲に床机を並べるようなもので「河原の涼み」と呼ばれていた。
 明治時代に入り7~8月に床を出すのが定着する。鴨川の右岸と左岸両方に高床式の床が出て、砂洲は床机が置かれた。さらに驚くことに三条大橋の下には河原から張り出した床が出ていた。その様子は、京都鴨川納涼床協同組合が運営している「京の風物詩 鴨川納涼床」の納涼床の歴史に掲載されている彩色写真(日文研所蔵)を見ていただければ分かる。
 第一疎水に続いて明治28年(1895)から鴨川運河の建設が行われる。これは第一疎水と鴨川の合流点から伏見堀詰の湊川をつなぐもので、明治27年(1894)に完成している。さらに大正4年(1894)京阪本線の五条・三条間の延伸工事が竣工し開業している。これにより東岸は鴨川運河、京阪本線そして鴨川が平行に走るようになり料亭から張り出し式の床を設置することができなくなり、東岸の床は姿を消している。さらに大正期の河道改修により、中州が除去された上床机の設置が禁止されている。鴨川の西岸についても、流れが岸から遠のいたため納涼床を出せなくなる。そのため大正6年(1917)には、夏の納涼床河岸に清水を通すなどの設備についての陳情が先斗町等の地元より出されている。この陳情を受けて開削された水路がみそそぎ川の原形であった。ちなみに当時はみそそぎ川の名は無かった。大正12年(1923)「鴨川河川敷一階占用並びに工作物施設の件」が通達され、納涼床の基準が定められる。しかし柱に鉄柱を用い、屋根を付ける店舗などが増え風致上の支障をきたすようになって行く。昭和4年(1929)には河川敷に半永久的な高床式の納涼床を設置することに制限が課せられる。
 そして上記の昭和10年(1935)6月29日の大水害が起きる。32橋が流出したことからも分かるように、当時設置されていた納涼床も全て流されている。そして、みそそぎ川を含めた改修工事が始まる。戦時中は灯火管制のため納涼床が禁じられるが、昭和30年(1955)頃には4〜50軒の店舗が納涼床の設置を出願し、平成25年(2013)には100軒を越える申請が出されている。ちなみに床の営業期間が5月1日から9月30日になったのは比較的新しく、平成12年(2000)のことであった。

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みそそぎ川 東岸から見た取水口と京都府立医科大学付属病院
2011年6月18日撮影

 上記のように、みそそぎ川は鴨川の改修工事と深い関係にあった。そして鴨川より水を取り入れた人工の流れである。京都市職員厚生会職員会館かもがわ すなわち孝充館の北側から姿を現わし、がんこ高瀬川二条苑で分流して高瀬川に注ぎ込んでいる。本川はさらに鴨川に並行し、五条大橋の直前で再び鴨川に戻っている。みそそぎ川は現在の高瀬川の源流になっている。
 鴨川の西岸の鴨川公園の園路を北に歩いて行き、丁度、京都府立医科大学付属病院の直ぐ北側にある堰で取水口を見つけました。西岸では取水口の構造が分からないので、後日撮影した写真も掲載しておきます。ところで、撮影後に京都府京都土木事務所の作成した「みそそぎ川に流れる水は何処から?(第38号)」を見つけました。ここに掲載されている取水口の位置を示す位置図を参照するともう一本北側に取水口が作られていることが分かりました。どちらが正しいかは次回の訪問の際に明らかにするつもりです。
追記 2018年7月11日
 上記の「みそそぎ川に流れる水は何処から?(第38号)」について、京都府京都土木事務所に質問メールを送ってみたところ、早速丁寧な返事が返ってきました。やはり写真の取水口が正しく、HP
http://www.pref.kyoto.jp/kyotodoboku/1349235660936.html
は訂正されたようです。その上、詳細な図面と取水口の写真も付けて頂けました。駄目もとで送ったメールから、このような展開になったことに感謝しています。ところで、文頭に「先日、府民の方から「みそそぎ川の水はどこから流れて来るの?」との質問をお受けしました。」とありますが、私は昔から現在まで東京都民であり、ただの旅行者です。ここについては、勿論訂正メールを出していませんが。

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みそそぎ川 取水口へ下りる階段

「みそそぎ川」 の地図


大きな地図



みそそぎ川 のMarker List

No. 名称 緯度 経度
赤● みそそぎ川取水口 35.0257 135.7713

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