カテゴリー:京都府
壬生の町並み
壬生の町並み(みぶのまちなみ) 2008年05月18日訪問 壬生の町並み 民家の屋根に見かけた鍾馗様と仁丹の町名表示板 鳥羽殿跡から再び城南宮を経由し、城南宮道を東に進み、市営地下鉄烏丸線竹田駅に向かう。この間徒歩でほぼ30分近い。この竹田の地は、鳥羽街道、京阪国道、阪神高速8号京都線、近鉄京都線、竹田街道、京阪本線、JR奈良線、伏見街道と南北への移動は容易だが、東西を結ぶ公共交通機関は少ないのでただひたすら歩くしかない。鳥羽殿跡を出たのが15時30分頃だったので、壬生寺を目指して市内に戻ることとしたが、この城南の地にある安楽寿院などの鳥羽殿に関連する史跡を巡ったほうが効率的であったか… ►続きを読む
鳥羽殿跡
鳥羽殿跡(とばどのあと) 2008年05月18日訪問 鳥羽殿跡 千本通の向こう側に建つマンション群が見える 秋の山のある鳥羽離宮跡公園の南には大きなグランドが現れる。この地の地下には鳥羽離宮南殿の遺構があることを記した京都市の看板がフェンスに掛けられ、鳥羽殿跡の碑が建つ。 鳥羽離宮は12世紀から14世紀頃まで代々の上皇により使用されてきた院御所である。敷地面積約180町(180万平方メートル)には南殿・北殿・泉殿・馬場殿・田中殿などの御所が建設されると、寺院や広大な池を持つ庭園も築かれる。さらに院の近臣をはじめとする貴族から雑人に至る宅地が、鳥羽殿周辺に与えられたため、あたかも新しい都… ►続きを読む
秋の山
秋の山(あきのやま) 2008年05月18日訪問 秋の山 丘の上に残る鳥羽伏見戦跡碑 小枝橋からつながる城南宮道から30メートルくらい南に鳥羽離宮公園がある。周りの平坦な地形の中で少し盛られたような秋の山と呼ばれる場所がこの公園の北側にある。安永9年(1780)に刊行された都名所図会にも秋山として残されている。 「小枝橋半町ばかり南にして、茶店の向ふなり。鳥羽法皇城南離宮を営給ひし時、四季の風景をつくり、紅葉を多く植させ給ふ所を秋の山といふ、今纔の岡山遺れり」 秋の山 確かに人工的な構築物のように見える。紅葉する木々が植えられたことから秋の山とされていることからも、当時… ►続きを読む
小枝橋 その2
小枝橋(こえだばし) その2 2008年05月18日訪問 小枝橋 秋の山にある鳥羽伏見の戦勃発の地小枝橋の碑にある地図 前述の野口武彦氏の「鳥羽伏見の戦い」によると、下記のような軍配書に従って1月3日の進軍が行われていたことが分かる。 1 鳥羽街道 竹中丹後守 攻撃当朝鳥羽に出張、東寺に向かひ候こと 秋山下総守歩兵一大隊(第五連隊) 小笠原石見守歩兵一大隊(伝習第一大隊) 谷土佐守 桑名四中隊 松平右近将監(浜田藩) 2 伏見 城和泉守 攻撃前日出張のこと 窪田備前守歩兵一大隊(第十二連隊) 大沢顕一郎歩兵一大隊(第七連隊) 間宮銕太郎 新選組150人 3 二条御城 大久保主膳正… ►続きを読む
小枝橋
小枝橋(こえだばし) その1 2008年05月18日訪問 小枝橋 旧小枝橋の謂れを記した碑、京道・城南離宮の道標と共に鳥羽伏見戦跡の石碑が建つ 城南宮神苑を出て、東西に走る城南宮堂を西に向かう。左手に駐車場を見ながら西の鳥居を潜ると南北に通る京阪国道が現れる。この四車線の国道を歩道橋で渡りさらに西に進むと、鴨川の土手に突き当たり、道は北に曲がり千本通に合流する。この土手の手前のガードレール脇に旧小枝橋風景図を記した石碑、京道・城南離宮の道標、そして鳥羽伏見戦跡の石碑が建つ。 小枝橋 正面に旧小枝橋が架かり、鳥羽街道は左に折れて納所へと続く 旧小枝橋風景図は、この先の土手に架かっ… ►続きを読む
城南宮神苑
城南宮神苑(じょうなんぐうしんえん) 2008年05月18日訪問 城南宮神苑 室町の庭 城南宮には、楽水苑と名付けられた中根金作作庭の神苑がある。この庭は禅宗寺院の修行の場としての庭園とは異なり、「参拝に来た人々の休息・憩いの場としてほしい」という城南宮の希望に沿って作られたものである。そのため、神苑の敷地の大きさだけからではなく、かつてこの地にあった鳥羽離宮を思い起こさせるような伸びやかな雰囲気が漂う明るい庭園となっている。 城南宮神苑 春の庭 小川のせせらぎ 城南宮神苑 春の庭 多くの種類の草木が植えられている 神苑は「春の山」「平安の庭」「室町の庭」「桃山の庭」「城… ►続きを読む
城南宮
城南宮(じょうなんぐう) 2008年05月18日訪問 城南宮 本殿へ向かう鳥居 西寺址から再び九条通に戻り、城南宮へと向かう。公共の交通機関を使うと時間も掛かり、便はあまり良くないので、やむなくタクシーを利用することとする。城南宮への道筋はお任せすると、新千本通を南に下り十条通に出る。ここから東に走り国道十条の交差点で京阪国道に入り、ここから真直ぐ南に進む。鴨川を越え、名神高速道路の京都南インターチェンジの高架を過ぎると城南宮に着く。タクシーを使えば九条から10分弱で到着できるので、竹田駅から徒歩で向かうよりも早い。 城南宮 城南宮道の西側に建つ鳥居 城南宮 城南宮道の中 本… ►続きを読む
西寺址
西寺址(さいじあと) 2008年05月18日訪問 西寺址 講堂跡の土壇に建つ碑 羅城門遺址のある花園児童公園から再び九条通に戻り、東寺から歩いた距離と同じだけ西に進む。スーパーのある七本松通の角を北に曲がり進む。市立唐橋小学校を過ぎると、ぽっかりと広がる唐橋西寺公園が現れる。 東寺の項でも触れたたように、平安京造営時は、羅城門を入った内側には東西の鴻臚館が建てられ、外交および海外交易の場として使われてきた。この平安京の鴻臚館は筑紫や難波の鴻臚館と比較して、最も遅く建設され、主に渤海使を迎賓していた。北路にて来訪した渤海使は能登客院(石川県羽咋郡志賀町)や松原客院(福井県敦賀市)を経由し… ►続きを読む
羅城門遺址
羅城門遺址(らじょうもんいし) 2008年05月18日訪問 羅城門遺址 東寺の南大門を出て、西寺址を目指し九条通を西に進む。歩いていては気が付かないが、南大門から西側部分の九条通は、徐々に南に折れている。東寺の境内の南端にある堀の幅を見るとよく分かる。千本通が九条通を交差する少し手前を北に入っていくと三角形をした小さな敷地の花園児童公園が現れる。この公園の中央に柵に囲まれて建つ石碑がある。これが明治28年(1895)の平安遷都千百年紀念祭の事業として建立された羅城門遺址である。 古代都市を取り囲む城壁のことを羅城と呼ぶことから、羅城門とは羅城に開けられた門のことである。中国では外敵防禦… ►続きを読む
教王護国寺(東寺) その2
真言宗総本山 八幡山 教王護国寺(きょうおうごこくじ) その2 2008年05月18日訪問 東寺 金堂 東大寺の大仏殿を思い起こされる大仏様 東寺の建物を中心に南側から境内を見ていく。 東寺 南大門に掛かる提燈とその奥に見える金堂 まず九条通に面して建つ南大門は明治28年(1895)に三十三間堂の西門を移築したものであり、重要文化財に指定されている。 東寺 金堂 南大門から一直線上に配置された伽藍の一つである金堂は国宝に指定されている。東寺の中心をなす堂宇で、諸堂塔のうちもっとも早くから建設が始められている。弘仁14年(823)の空海への下賜の際には、既に完成していたと… ►続きを読む
教王護国寺(東寺)
真言宗総本山 八幡山 教王護国寺(きょうおうごこくじ) その1 2008年05月18日訪問 東寺 五重塔と庭園 六孫王神社から八条通を大宮通の方向に少し戻ると、重要文化財に指定されている東寺の北総門が南側に現れる。ここより東寺に入っていく。右手の洛南高等学校、左手の塔頭の間を東寺の北大門へ向かって櫛笥小路を進む。この小路は平安時代に道が作られた時の幅員を現在に伝えていると言われている。東西に走る針小路通は骨董通と呼ばれるように、弘法市が行われる日にはこの周辺にも露店が建ち並ぶようだ。針小路通を越えると観智院の虚空蔵菩薩の提燈が見えてくる。観智院は春と秋に特別公開が行われ、今回は春季特別… ►続きを読む
六孫王神社
六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ) 2008年05月18日訪問 六孫王神社 唐門 島原の町並みを抜け出し、七条通に出る。七条大宮の交差点から大宮通を南に下ると、右手に梅小路公園の緑地、左手に京都駅の巨大な壁面が現れる。JRの高架下を潜り、八条通で右折し東海道本線の高架を見ながら西に進むと右手に六孫王神社の入口が唐突に現れる。 本殿に源経基を、相殿に天照大神、八幡大神を合祀している。源経基は清和天皇の第六皇子貞純親王の子であり、天皇の孫であることから「六孫王」と呼ばれ、その嫡子で六孫王神社を創建した源満仲が清和源氏の武士団を形成したことから、「清和源氏発祥の宮」を称している。また兵庫県川… ►続きを読む
島原の町並み その2
島原の町並み(しまばらのまちなみ)その2 2008年05月18日訪問 島原 輪違屋 かつての置屋建築を偲ばせる輪違屋と島原に残されている文芸碑に従って、町並みを見ていく。 島原 輪違屋 ■01 輪違屋 輪違屋は、現在も営業している置屋兼お茶屋である。元禄元年(1688)置屋として始まっている。創業当時は養花楼という名称であった。現在の建物は安政4年(1857)に再建されたものであるが、明治4年(1871)に現在の姿となっている。そして明治5年(1872)よりお茶屋を兼業している。かつては芸妓等も抱えていたが 現在は太夫のみを抱え、太夫の教育の場と宴席の場となっている。建物は昭和… ►続きを読む
島原の町並み
島原の町並み(しまばらのまちなみ)その1 2008年05月18日訪問 島原 大門 角屋もてなしの文化美術館から町に出る。現在の島原は、東の大門から西は千本通までの東西約200メートル、北は中央市場青果棟の南側道路から南は正面通南一筋目の道路までの南北約250メートルの範囲となる。島原の中には中之町、上之町、中堂寺町、太夫町、下之町そして揚屋町の6つの町が存在している。 日本の公娼地の始まりは、第3代将軍・足利義満が現在の東洞院通七条下ルに許可した傾城町とされている。それからかなりの時が経ち、角屋の項で触れたように、天正17年(1589)原三郎左衛門らが豊臣秀吉の許可を得て、柳馬場二… ►続きを読む
角屋 その3
角屋(すみや) その3 2008年05月18日訪問 角屋 臥龍松 最後に角屋の1階の座敷を見ていく。玄関を潜り、右手に曲がると入口の奥には右手の網代の間の庭が見える。この小さな坪庭が入口の暗さを救っている。この明るさに引かれて客は建物に上がっていく。角屋 その2で説明したように、客は建物に入ると壁に設けられた刀架けに刀を預けることとなる。そのまま真直ぐ進むと右手に28畳の網代の間が広がる。ここは表棟の1階の部分にあたると思われる。赤壁に大長枌網代組の天井で、棹縁は長さ4間の北山杉の丸太を使用している。床の地板は2間の松の大節木、柱は大木皮付が用いられている。 襖絵は長谷川等雲による「唐… ►続きを読む
角屋 その2
角屋(すみや) その2 2008年05月18日訪問 角屋 玄関の露地 角屋の2階部分は、各部屋毎に異なったテーマのもとに意匠を競う個性的な部屋となっている。これに対して1階には網代の間と松の間の2つの座敷以外は、揚屋を支える機能で満たされている。2階は撮影不可ではあるが、1階では写真撮影が許されている。 角屋 外観全景 角屋 玄関 角屋の建物が国の重要文化財に指定されたのは揚屋建築の遺構であるためである。既に江戸時代後期には衰退しているようで、嘉永6年(1853)に喜田川守貞が著した「守貞謾稿」には、揚屋を下記のように紹介している。 揚屋 あげやと訓ず。京師島… ►続きを読む
角屋
角屋(すみや) その1 2008年05月18日訪問 角屋 外観 渉成園の西門を出て、間之道通を南に下り七条通へ出る。七条河原町通から市バスで島原へ向かう。角屋の2階部分は午前1回、午後2回特別公開される。そのため既に予約しておいた10時30分までに角屋に着かないとならないのだが、乗車するバスを誤ったようで思っていた方向とは違う方に進み始めた。そこで七条堀川で下車しタクシーに乗り換える。かなりバスが来るまで停留所で待ったことも含めて最初からタクシーに乗れば良かったと後悔する。 既に10時30分の回は巡回を始めていたようで、入館料の1000円と特別公開の800円を支払った上で、ロッカーに荷… ►続きを読む
渉成園 その3
渉成園(しょうせいえん)その3 2008年05月18日訪問 渉成園 渉成園は、江戸時代の頃より六条河原院の跡地とされていた。安永9年(1780)に刊行された都名所図会では東殿(東本願寺別館)という名称で、下記のようなことが記されている。東殿〔今いふ百間屋鋪なり〕台命によつて増地を賜り、東本願寺の別館とす。旧此所は河原院の旧蹟にして、池辺の出島に九重塔あり、是則融大臣の古墳なり。〔いにしへ此所に融公の社あり、境内の隣地下寺町万年寺にうつすなりといふ〕池水は東の高瀬川より流れて常に溶々たり、水戸を獅子口といふ。臨池殿の庭は小堀遠州の好なり、風光奇々として真妙なり。 台命とは将軍や三公や皇… ►続きを読む
渉成園 その2
渉成園(しょうせいえん)その2 2008年05月18日訪問 渉成園 漱枕居 渉成園 その1で紹介した他にも東本願寺が作成した「名勝 渉成園-枳殻邸-」の冊子には名物や景物が掲載されているのでそれらをさらに見ていく。■高石垣 西門の正面に南北に続く石垣。石橋のような切石、礎石、石臼などが見られる表情豊かなアイストップとなっている。 渉成園 高石垣 渉成園 高石垣 ■檜垣の燈篭 滴翠軒の東側に置かれた石燈籠。 渉成園 檜垣の燈篭 右手に見える石燈篭 ■亀石井戸 代笠席の南東にある亀の形に石組みされた井戸。甲羅の部分が掘り込まれ中心に井筒が埋められている。 ■獅子吼 印月池… ►続きを読む
渉成園
渉成園(しょうせいえん)その1 2008年05月18日訪問 渉成園 印月地と漱枕居 文子天満宮を拝観しているうちに、渉成園の開園時間となる。この庭園は2回目となる。前回2005年の夏は午後の時間帯の訪問だったが、今度は朝方となるため、多分光の方向が異なるのだろう。冠木門を潜り受付で参観者協力寄付金として500円を払うとパンフレットを頂けた。数種類の中から「名勝 渉成園-枳殻邸-」を選ぶ。前回の訪問の時は自由な志納ということで、このようなしっかりしたパンフレットは用意されていなかったように思う。たとえ東本願寺の所有といえども、この見事な庭園を維持し長く公開していく上では参観者協力寄付金は… ►続きを読む