徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

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樫原の町並み

 

樫原の町並み(かたぎはらのまちなみ) 2009年12月9日訪問 樫原の町並み 山陰街道  松尾大社では重森三玲の松風苑を鑑賞させていただいた。本日の訪問地の中でも最も期待していただけに、予定以上の時間をここで費やすこととなった。この後、再び阪急電鉄嵐山線に乗車し桂駅で下車して徒歩で次の訪問地・樫原の辻に行く予定であった。しかし時間がなくなったので、タクシーを使うことに変更した。この道は、先ず京都府道29号宇多野嵐山山田線であるが、西京区山田の山陰道の交差点から先は、京都府道・大阪府道67号西京高槻線すなわち物集女街道に変わる。同じ直線上に接続されているにもかかわらず、山陰道を挟んで2つの… ►続きを読む

 

松尾の町並み

 

松尾の町並み(まつおのまちなみ) 2009年12月9日訪問 松尾の町並み 松尾大社の一之鳥居  八条ヶ池の南半分に面する錦水亭の外観を眺めた後、長岡天満宮の中堤の入口に建つ大鳥居を潜り、天神通を東に進む。阪急京都本線の長岡天神駅までは200メートル程度である。ここより京都本線に乗車し、嵐山線の松尾駅を目指す。京都本線から直接嵐山に向う直通列車は行楽時期だけの臨時列車だけで、通常は桂・嵐山間の折り返し運行となっているため、桂駅で嵐山線に乗り換えると、上桂の次が松尾駅となる。 松尾大社のある場所は桂川の右岸でも、西側から松尾山・嵐山が迫り出しているため、平地の部分が最も少なくなっている。松尾… ►続きを読む

 

乙訓の町並み

 

乙訓の町並み(おとくにのまちなみ) 2009年12月9日訪問 乙訓の町並み 光明寺道 粟生のあたり  光明寺の総門を潜り、光明寺道を東に進む。次の訪問地の乙訓寺までは1.6Km程度なので歩いて移動する。JR長岡京駅からバスに乗車して光明寺まで来たが、その道を途中まで戻ることになる。この光明寺道は西国街道の五辻から光明寺へと続く道である。現在では光明寺前と光明寺道の間は京都府道10号大山崎大枝線に含まれているようだ。そのため光明寺の総門を出て府道10号を東に進むという言い方になるのかもしれない。 乙訓の町並み 文化センター通り 今里のあたり  府道10号大山崎大枝線は、文字通り大山崎… ►続きを読む

 

神足駅五十周年開業記念碑

 

神足駅五十周年開業記念碑(こうたりえきごじゅうしゅうねんかいぎょうきねんひ) 2009年12月9日訪問 長岡京駅 神足駅五十周年の開業記念碑  今回は長岡京市の光明寺と長岡天満宮、そして松尾大社の重森三玲の庭園の訪問を目的とし、東京駅6:00発の新幹線に乗り込み京都に向かう。いつもと同じように新幹線が定刻の8:11に京都駅に到着すると、そのまま駅を出ることなく東海道本線下りに乗り換えJR長岡京駅へと向かう。光明寺への阪急バス乗り場を探し西口に出る。西口駅前は2棟の商業施設とその奥にある高層マンションが目に付くくらいで、特に目立った物のない普通の地方都市の駅前風景という感じである。むしろ東… ►続きを読む

 

東山の町並み その2

 

東山の町並み(ひがしやまのまちなみ)その2 2009年11月29日訪問 東山の町並み 八坂の塔  既に18時半も廻っているので、本日最後の訪問は人出の多い賑やかな場所を選ぶ。高台寺通から法観寺のライトアップを見ながら産寧坂を目指すこととする。  京都の地形が北から南に向かって下り傾斜となっていることは、あまりにも有名である。だから鴨川も桂川も北に発して南に下ってゆく。川の中に設けられた堰を見ると、穏やかな流れの鴨川でも比較的高低差があることに気がつく。高瀬川の源流となる「みそそぎ川」には各庭園に水を導くための取水口が設けられている。これらを一つ一つ眺めてゆくと京都の地形が思ったより傾斜し… ►続きを読む

 

石塀小路の町並み

 

石塀小路の町並み(いしべいこうじのまちなみ) 2009年11月29日訪問 石塀小路の町並み 圓徳院の裏  圓徳院を出た頃は、空にまだ少し明るさが残っていたが、高台寺の台所坂を下ると、既に町は暗闇の中にあり、店々の軒に下がる看板だけが目立つようになっていた。 八坂神社の南楼門から南に延びる下河原町通の東側、維新の道とよばれる京都霊山護国神社参道の北側で高台寺と霊山観音を含む地域は下河原町とされている。「日本歴史地名大系第27巻 京都市の地名」(平凡社 初版第4刷1993年刊)によると、この下河原町通は祇園社(現八坂神社)の表参道であったことより祇園大路という名称があり、中世には百度大路ある… ►続きを読む

 

嵯峨野の町並み その4

 

嵯峨野の町並み(さがののまちなみ)その4 2009年11月29日訪問 嵯峨野の町並み 旧小林家住宅  嵯峨野の町並み その3では、後嵯峨上皇が建設した亀山殿を中心とした鎌倉時代後期の嵯峨野の都市構造を推測するために、その痕跡を現在の嵯峨野の町並みの中に求めてみた。2004年11月に纏められた「史跡・名勝嵐山」(京都市埋蔵文化財研究所発掘調査概報 2004-11)が提示している手法に従い、元徳元年(1329)に作成された「山科国亀山殿屋敷地指図」、貞和3年(1347)の「山科国臨川寺領大井郷界畔絵図」そして元禄5年(1692)の「天龍寺境内絵図」を重ね合わせてみると、亀山殿とその周辺施設と… ►続きを読む

 

嵯峨野の町並み その3

 

嵯峨野の町並み(さがののまちなみ)その3 2009年11月29日訪問 嵯峨野の町並み 天龍寺総門  小督塚のある天龍寺南側、保津川との間の地は天龍寺芒ノ馬場下という地名になっている。既に天龍寺の項から嵯峨南陵、亀山陵そして臨川寺にわたって書いてきたように、後嵯峨上皇が建設した亀山殿を天龍寺に改めた場所でもある。このあたりの推移は、財団法人京都市埋蔵文化財研究所が2005年に報告した「史跡・名勝嵐山」(京都市埋蔵文化財研究所発掘調査概報 2004-11)に詳細に記されている。なお当地の京都市埋蔵文化財研究所による調査は1969年の臨川寺跡の調査から始まる。同研究所の公式HP上に掲載される調… ►続きを読む

 

嵯峨野の町並み その2

 

嵯峨野の町並み(さがののまちなみ)その2 2009年11月29日訪問 嵯峨野の町並み 大堰川と渡月橋  既に嵐山の町並みや嵯峨野の町並みで記したように、地名としての嵐山は桂川の右岸の西京区を指す。 安永9年(1780)に刊行された都名所図会の嵐山の項でも下記のように記している。     嵐山は大井川を帯て北に向ひたる山なり。 亀山院吉野の桜をうつし給ひし所とぞ  そして渡月橋を手前にした桂川の右岸地域の図会を掲載している。このことからも少なくとも江戸時代中期頃から現在と同じ地理的な認識であったことが分かる。 嵯峨あるいは嵯峨野という地名は、東西は小倉山の東から太秦や宇多野の西まで。南北は… ►続きを読む

 

太秦の町並み

 

太秦の町並み(うずまさのまちなみ) 2009年1月12日訪問 太秦の町並み 木嶋神社から広隆寺への道 太子道  木嶋神社の境内から、二の鳥居を潜ると東西に走る通りに出る。この通りは太子道とよばれている。一般的に太子道とは、日本の古代道路のうち、聖徳太子が通ったとされているものを指し示すようだが、この太子道は太秦広隆寺への参詣道として利用されていたようだ。京都観光Naviの太子道の項(https://vinfo06.at.webry.info/201203/article_4.html : リンク先が無くなりました )によると、中京区西ノ京壺井町にある壷井という井戸の前の道。上京区の出世稲… ►続きを読む

 

ぬりこべ地蔵

 

ぬりこべ地蔵(ぬりこべじぞう) 2009年1月11日訪問 ぬりこべ地蔵  白河天皇の成菩提院陵の拝観を済ませ、再び交通量の多い油小路通に出る。ここから伏見稲荷大社の御茶屋に向かう。この御茶屋は通常非公開で、今回開催されている第43回京の冬の旅で、教王護国寺五重塔内陣、教王護国寺観智院、東福寺退耕庵そして安楽寿院などともに特別公開されている。かなり不鮮明ではあるが30年くらい前に大学の建築史の先生の案内で一度訪問した記憶が残っている。 ぬりこべ地蔵 墓地の中に立つ小さな堂宇に近所の方が手を合わせる ぬりこべ地蔵  既に3時30分を過ぎているため、歩いて竹田駅まで向かい電車等を乗… ►続きを読む

 

伏見の町並み その2

 

伏見の町並み(ふしみのまちなみ)その2 2009年1月11日訪問 伏見の町並み 魚屋通の交差点から伏見奉行所跡を眺める 桃山へと続く左手側に上っていく  旧幕府軍の伏見奉行所跡から、新政府軍の本営である御香宮神社に向かう。伏見奉行所跡の石碑が面する通りの名称は分からないが、京町通と本町通の延長すなわち国道24号奈良街道の間の道を北に進む。この道を歩くと実感することは、御香宮神社と伏見奉行所跡との位置関係である。南北に走る魚屋通から大手筋通まで約100メートル程度。この僅かな距離で旧幕府軍と新政府軍が対峙していたことは、実際にこの場所に立たないとなかなか理解できない。そして宇治川に面してい… ►続きを読む

 

魚三楼 その2

 

魚三楼(うおさぶろう)その2 2009年1月11日訪問 魚三楼 南側から眺める 左の建物は比較的新しい 右の建物の暖簾の右側の窓格子に銃痕が見られる  東福寺駅前にある仲恭天皇九条陵・崇徳天皇中宮皇嘉門院月輪南陵参道の道標を眺めながら、京福電鉄京阪本線に乗車し、7つ先の伏見桃山駅で下車する。改札口を出ると目の前を大手筋通が東西に走る。通りの名前から分かるように、豊臣秀吉が築城した伏見城の大手門へと続く道とされている。 この道を東に進み、近鉄京都線のガード下に入る手前を右に折れる。この道が京町通であることを示す表示板が立つ。伏見築城の際、桃山の伊達街道と共に城下町で最初に開通した「本通り」… ►続きを読む

 

洛中の町並み その11 油小路通2

 

洛中の町並み(らくちゅうのまちなみ)その11 油小路通2 2009年1月11日訪問 洛中の町並み 油小路通 正面通の町並み 洛中の町並み 油小路通 天満屋事件跡  中井正五郎殉難地を過ぎてさらに南に進む。正面通と交わる角に伊東忠太が設計した西本願寺伝道院が建つ。改修工事の仮囲いがあったためか、撮影した写真の中に映像が残っていなかった。現在(2011年8月)は改修工事も終了し、一般に公開されているようだ。日を改めて訪問したい建物のひとつである。 伝道院は明治45年(1912)に真宗信徒生命保険会社の社屋として建築されている。レンガ造りの2階建で正面および東面に塔屋が付き、また北面お… ►続きを読む

 

洛中の町並み その10 油小路通

 

洛中の町並み(らくちゅうのまちなみ)その10 油小路通 2009年1月11日訪問 洛中の町並み 油小路通 天満屋事件跡  四条烏丸より市営地下鉄に乗車し、一駅南に下った五条で下車する。地上に出ると目の前に烏丸通が現れる。本日の最初の訪問地は油小路通にあるため、丁度1坊分、西に移動する。油小路通は幕末の油小路事件で有名な通りでもある。 洛中の町並み 油小路通 五条通から南を眺める  油小路通は京都市の主要な南北の通りの一つで、平安京の油小路にあたる。紫明通から北は堀川通と新町通の間を通る道となっている。この部分は大徳寺の東北にあたり、区画が整理された住宅地である。そして紫明通から上立… ►続きを読む

 

泉涌寺道

 

泉涌寺道(せんにゅうじみち) 2008年12月22日訪問 泉涌寺道 東大路通の角に建つ泉山御陵参道の道標  伏水街道一ノ橋が架かっていた寶寿寺からさらに伏見街道を20~30メートルほど北に進むと市立一橋小学校の校舎が右手に見える。一橋小学校の校名は一ノ橋に因んだものであるから、「ひとつばし」ではなく「いっきょう」と読む。この学校は明治2年(1869)住民自治組織であった番組を単位として、京都の町衆によって創設された64校の番組小学校の一つ(下京第31番組 一橋)であった。しかし少子化の影響により、学校統合計画が策定されている。平成26年(2014)この一橋小学校の敷地に東山区南部小中一貫… ►続きを読む

 

伏水街道の橋 その2

 

伏水街道の橋(ふしみかいどうのはし)その2 2008年12月22日訪問 伏水街道の橋 市立一橋小学校に保存されている一ノ橋  東大路通に面する万寿寺の山門前から側道を下り、再び伏見街道の本町通に戻る。鴨川を越えて九条通と東大路通を結ぶ陸橋の下にはかつて伏水街道に架けられていた二ノ橋の親柱が残されている。 この伏水街道の橋については、既に伏水街道の橋の項で書いている。前回の訪問の時にはJR奈良線の東福寺駅の北にある一ノ橋の跡を見ていなかったので、今回はその場所の確認と一ノ橋の親柱が保存されている京都市立一橋小学校のグランドを再度訪問する。 伏水街道の橋 寶寿寺 伏水街道の橋 寶寿… ►続きを読む

 

嵐山花灯路 その2

 

嵐山花灯路(あらしやまはなどうろう)その2 2008年12月21日訪問 嵐山花灯路 渡月橋のライトアップ  やや強くなってきた雨の中、再びシャトルバスで大覚寺から二尊院の門前に戻る。ここから南に下りながら阪急嵐山駅に至る。長神の杜には源氏物語、平家物語、向井去来など嵯峨・嵐山に所縁のある古典文学を紹介するパネルとともに、小倉百人一首文芸苑として百人一首が刻まれた自然石の歌碑が点在している。嵐山花灯路では活け花が展示され、昼間より華やかな空間となっている。 嵐山花灯路 嵐山花灯路 長神の杜に飾られた活け花 嵐山花灯路 落柿庵の門前  この長神の杜から落柿舎を過ぎて野宮神社… ►続きを読む

 

嵐山花灯路

 

嵐山花灯路(あらしやまはなどうろう) 2008年12月21日訪問 嵐山花灯路 大覚寺・多宝塔  12月の嵯峨の日没は早く、すでに祇王寺の苔の庭園は写真も撮れない暗さに沈み込んでしまった。祇王寺を後にして再び愛宕街道に建つ4本の道標まで戻ったのが17時頃であった。 嵐山花灯路 二尊院 嵐山花灯路 二尊院門前の活け花 嵐山花灯路 大覚寺 嵐山花灯路 大覚寺・勅使門 嵐山花灯路 大沢池のオブジェ  日が落ち、辺りが暗闇に包まれてくると、いろいろな場所に置かれた灯籠に灯が入る。嵐山花灯路が始まる。二尊院の門前がライトアップされ、門前に飾られた巨大な活け花に見入る人… ►続きを読む

 

嵯峨鳥居本の町並み その3

 

嵯峨鳥居本の町並み(さがとりいもとのまちなみ)その3 2008年12月21日訪問 嵯峨鳥居本の町並み 一の鳥居  渡月橋を7時45分に渡り、小督塚、小倉百人一首文芸苑を見て、嵯峨野の竹林に入り、野宮神社にお参りをする。嵯峨天皇皇女 有智子内親王墓と落柿舎の前を通り、去来墓と西行井戸と嵯峨小倉陵に立ち寄り、嵯峨鳥居本の重要伝統的建造物群保存地区に入る。保存地区を北に進み、一の鳥居に辿り着いたのが10時15分ということは2時間30分もかかってしまった。ヒデさんのHP名所旧跡めぐり 嵯峨野/愛宕街道を歩く(https://vinfo06.at.webry.info/201102/article… ►続きを読む

 
 

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