文書と写真・地図による「記憶」の再現

八坂神社

八坂神社(やさかじんじゃ)  2008/05/12訪問

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八坂神社 西楼門

 3日目は祇園→岡崎→二条城と京都市内を巡る。祇園のホテルを6時30分にチェックアウトし四条通の突き当たりにある八坂神社に向かう。

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八坂神社 西楼門 境内より

 素戔嗚尊を祭神とする神社は日本全国に約2300社あるとされる。八坂神社はそれらの神社の総本社である。

 創建については諸説あるようだが、社伝によると斉明天皇2年(656)に高句麗の調進副使・伊利之使主が、新羅の牛頭山に祀られる牛頭天王を祀ったのを始まりとしている。その際に八坂造の姓を賜ったとされている。そのため延暦13年(794)の平安京建都より以前から八坂神社のある東山一帯はひらけていた。

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八坂神社 本殿 西面
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八坂神社 本殿

 祭神とされている牛頭天王はインドの釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神であり、仏教の神である。インドで成立した仏教が、中国の道教等の影響を受け、さらに神道の素戔嗚尊と習合され祇園信仰が生み出されている。どちらも災疫をもたらす神という点で一致している。

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八坂神社 本殿東面 屋根
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八坂神社 本殿東面

 この神仏習合のためか、祇園社は延喜7年(907)に定められた延喜式の神名帳には記されていない。当初は興福寺の配下であり、10世紀末には延暦寺の末寺とされてきた。しかし長暦3年(1039)に記された二十二社註式には下八社の内の1社となり、神社としてみなされるようになった。平安時代中期ごろから一帯の産土神として信仰されるようになり、朝廷からも篤い崇敬を受けてきた。

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八坂神社 本殿前の舞殿
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八坂神社 左:能舞台 右:南楼門

 慶応4年(1868)の神仏分離令により、祭神の名や社名に牛頭天王 祇園のような仏教語を使用することが禁止されたことから、下記のように祭神が変わり、鎮座地の地名から八坂神社と改められた。
     中の座   牛頭天王  → 素戔嗚尊
     東の座   沙竭羅竜王 → 櫛稲田姫命
     西の座   頗梨采女  → 八柱御子神
 八柱御子神とは八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命の八柱

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八坂神社 南正門の鳥居 重要文化財指定
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八坂神社 南楼門

 ちなみに頗梨采女は牛頭天王の妻で、沙竭羅竜王は頗梨采女の父である。櫛稲田姫命も素戔嗚尊の妻である。

 平安時代のころより、天災や疫病の発生が多発するのは、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の怨霊のしわざと考えられていた。この怨霊を畏怖し、これを鎮めて御霊とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする信仰を御霊信仰と呼んでいた。祇園信仰はこの御霊信仰を背景とし、行疫神を慰め和ませることで疫病を防ごうとしたものである。
 京都三大祭のひとつ祇園祭は八坂神社に奉納される祭礼である。貞観11年(869)、疫病の猖獗を鎮める祈願を込めて、卜部日良麿が66本の矛を立て、神輿3基を送り牛頭天王を祀り御霊会を行ったのがその起源であるといわれている。安和3年(970)から毎年行うようになった。

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八坂神社 絵馬堂
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八坂神社 絵馬堂の奉納額

 本殿は祇園造とよばれる別棟であった本殿と礼堂(現在の拝殿)を一つの屋根で覆ったもの。祇園造は最も仏寺建築に近い神社建築様式とされている。現在のような建築様式となったのは、承平5年(935)から寛和2年(986)の間と考えられている。現在の本殿は、明応元年(1492)に再建されたものが正保3年(1646)に焼失したあと、承応3年(1654)に再建されたもの。
 本殿は南面しており、その先には南楼門が建てられている。そのため八坂神社の正門は四条通の先にある西楼門ではなく、この南楼門となる。

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八坂神社 境内の末社
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八坂神社 大神宮の南にある湧水

 境内には3摂社 25末社と多くのお社がある。

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八坂神社 西楼門

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