文書と写真・地図による「記憶」の再現

アーカイブ:2009年 5月 04日

醍醐三宝院

 

醍醐三宝院(だいごさんぼいん)  2008/05/11訪問 醍醐寺 三宝院唐門  永久3年(1115)醍醐寺14代座主勝覚が創建。当初は灌頂院と称したが、後に仏教の三宝にちなんで現在の名に改められた。康治2年(1143)に鳥羽上皇御願寺となる。鎌倉から南北朝時代にかけて、7世成賢・11世憲深・21世賢俊と高僧を輩出し、足利尊氏から厚く保護された。当時の三宝院は現在の総門の脇ではなく、西大門の内、その北側にあったようだ。  特に足利義満の猶子となった25世満済は、応永3年(1396)に醍醐寺座主に任じられ、続いて准三后となった。准三后とは太皇太后、皇太后、皇后の三后に准じた貴族の称号で、宣下されると臣下でありながら皇族あつかいとされる。公卿、将軍家、高僧に与えられた。 満済は足利義教の将軍擁立… ►続きを読む

 

醍醐寺

 

真言宗醍醐派総本山 醍醐寺(だいごじ)  2008/05/11訪問 醍醐寺 五重塔  随心院の総門を出て、前を通る道を南に下る。途中で府道36号大津宇治線を越える。この道は旧奈良街道と呼ばれている。随心院を出てから、およそ20分で醍醐寺の総門に到着した。 醍醐道 醍醐上ノ山町あたりで見かけた竹林 右側斜面の上は大団地になっている 醍醐寺 旧奈良街道沿いの白壁 醍醐寺 境内  真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山と称する。世界遺産にも登録されている。  貞観16年(874)空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音並びに如意輪観音を笠取山頂上に祀ったのが醍醐寺の開山となる。山岳信仰の霊山であった笠取山に登った聖宝は白髪の翁の姿で現れた地主神 横尾明神より醍醐水の湧き出るこの山を譲り受けたという伝承も… ►続きを読む

 

随心院

 

真言宗善通寺派大本山 随心院(ずいしんいん)  2008/05/11訪問 随心院 本堂と前庭  勧修寺から次の随心院までは歩いていくことにしていた。勧修寺の前を南北に走る醍醐道に出ると次の交差点まで進む、その後左にまがり、地下鉄小野駅を越えてそのまま東に歩く。地図の上では分からなかったが東に進むにつれてやや上り道となっている。勧修寺を出てほぼ15分で白壁で囲まれた随心院の駐車場に着いた。 随心院 総門 随心院 総門  真言宗善通寺派 隋心院門跡  正暦2年(991)弘法大師より8代目の弟子であり真言宗小野流の祖である仁海僧正が、一条天皇から寺地を下賜されこの地に牛皮山曼荼羅寺を創建した。 言い伝えによれば、仁海は夢で亡き母親が牛に生まれ変わっていることを知りその牛を鳥羽の辺りで探し出し飼育した… ►続きを読む

 

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