松尾大社 その4
松尾大社(まつおたいしゃ)その4 2009年12月20日訪問
阪急電鉄桂駅より嵐山線に乗車し2つ先の松尾駅を目指す。桂の町並みで触れたように、1つ先の上桂駅は旧桂村とその北側の松尾村が接する地域に当たる。そして葛野郡の松尾村と桂村は昭和6年(1931)4月1日に、京都市右京区に編入されている。さらに昭和51年(1976)10月1日の西京区誕生の際、分区されている。桂村が徳大寺村、下桂村、千代原村、上桂村、上野村の5村で構成されたように、明治22年(1889)の市町村制施行に伴い、上山田村、松室村、松尾谷村、下山田村、御陵村の5村が松尾村となっている。
上山田村は嵐山山田町が示すように現在の地名で嵐山○○町と表示されている地域であった。松尾村の北に位置し、松尾大社を含んでいる。
松室村は北を上山田村、東を上桂村、南と西を松尾谷村に接し、現在の地名で松室○○町と称される地域である。
松尾谷村は西芳寺川下流南岸部と上流一帯の山間部と保津川支流鷗谷の東岸で、松尾○○町及び松尾谷松尾町で構成されている。北は上山田村と松室村、東は上桂村そして西と南は下山田村に接している。名庭で有名な西芳寺は、この松尾谷村にある。
松尾谷村の南に位置する下山田村は東を上桂村と千代原村に、南を御陵村に接する。西の山間部は松尾谷村と沓掛村に挟まれ複雑な形状となっている。地名は山田○○町と下山田○○町で表示されている。
最後の御陵村の大部分は唐櫃越南斜面の山地となっている。東端の平野部は北に下山田村、東は千代原村と川島村、南は岡村と乙訓郡塚原村、そして西は沓掛村に接する。御陵○○町という表示で京都大学桂キャンパスや国際日本文化センターなどが旧村域に含まれる。
このように松尾村は桂川の西岸の狭い平野部から始まり、桂川が東に蛇行することで広がった平野部を桂村と分割しながら西側の山間部に入って行く逆L字型した村域だったことが分かる。京都大学桂キャンパスから西側も宅地化されたため人口も増えたが、少し前までは大部分が山間地であったことが分かる。
松尾駅で下車すると、松尾神社の朱色の鳥居とともに巨大な瓶子のオブジェが参拝客を迎える。この一ノ鳥居を潜り二ノ鳥居の前まで進み写真を撮影する。本日は天気もよく、背後の松尾山の上に広がる空が青々としている。既に前回の訪問で松尾神社についてかなり書いてしまったので、今回は写真を掲載するだけに留める。松尾神社については、松尾神社と松尾神社 その2、松尾神社 その3をご参照下さい。また重森三玲の松風苑については、松尾神社 松風苑と松風苑 その2、上古の庭と上古の庭 その2。曲水の庭と曲水の庭 その2、そして蓬莱の庭と細かく分かれておりますので興味のある部分だけお読み下さい。この後、松室村の月読神社に向けて南へ歩いていく。
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