城南宮神苑
城南宮神苑(じょうなんぐうしんえん) 2008年05月18日訪問
城南宮には、楽水苑と名付けられた中根金作作庭の神苑がある。この庭は禅宗寺院の修行の場としての庭園とは異なり、「参拝に来た人々の休息・憩いの場としてほしい」という城南宮の希望に沿って作られたものである。そのため、神苑の敷地の大きさだけからではなく、かつてこの地にあった鳥羽離宮を思い起こさせるような伸びやかな雰囲気が漂う明るい庭園となっている。
神苑は「春の山」「平安の庭」「室町の庭」「桃山の庭」「城南離宮の庭」の5つの庭で構成されている。まず「室町の庭」と「桃山の庭」の2つが昭和29~35年(1954~1960)の間に東西を結ぶ城南宮道の南側に造られている。この2つの庭に続いて、城南宮道の北側にある本殿の東西に「春の山」と「平安の庭」、そして南側に「城南離宮の庭」が追加された。「平安の庭」には曲水の流れが作られ、昭和45年(1970)から平安貴族の優雅な行事である曲水の宴の再現が行われるようになった。この神苑に流れる清らかで豊かな水は伏見の地下水が使用されている。また庭を彩る多くの草木は源氏物語に登場するほとんど全ての植物を網羅するように植栽されている。白河上皇は城南離宮を築く際に、源氏物語に描かれた光源氏の大邸宅である六條院をモデルにしたといわれている。現在の城南宮もまた源氏物語に思いを馳せることで、かつての鳥羽離宮の世界に近づくように造られている。
神苑への入口は本殿の左側にある。ここを入ると本殿の西側に広がる「春の山」が始まる。この春の山は境内に隣接する秋の山に対して名付けられたのであろう。築山が作られ巨石と季節ごとに異なった花をつける草木の中を苑路は巡る。6月25日から30日には、半年間の穢を小川に流して心身を清める人形流しが禊の小川で行われる。
「春の山」を進むと本殿の裏側の狭い部分に出る。平安神宮の神苑でもそうだが、この部分の演出はなかなかできることが少ない。やがて「平安の庭」につながっていく。
「平安の庭」は奥に見える社殿の屋根を寝殿に見立て、平安時代の貴族の邸宅にある池をイメージしている。段落ちの滝と遣水も造られ、4月29日と11月3日には王朝の雅を今に伝える曲水の宴(http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100429000122&genre=J1&area=K00 : リンク先が無くなりました )が行われている。この平安の庭が終わると神苑は一度中断し、東西の参道の南側に移る。
神苑の順路に従うと、池泉と共に茶室・楽水軒の屋根が現れる。この茶室の北側には複雑な汀線を持つ池泉の「室町の庭」が広がる。池泉廻遊式の庭で、この庭の入口に雌滝、奥まったところに雄滝、茶室の前には礼拝石、そして池中央の蓬莱島の奥には三尊石が配されているが、茶室の北の間からの眺めを意識して造られている。「平安の庭」の池泉と比較すると庭園様式の変遷が良く分かる。
楽水軒を挟んで「室町の庭」の南側には、枯山水様式の「桃山の庭」が広がる。この庭も茶室の南に面する間から眺めるように造られている。大きな刈り込みと蘇鉄の木、そして点在する巨石は、南に広がる大きな明るい芝生面と共に、桃山の雰囲気を醸し出している。この庭に植えられた紅枝垂れ桜が咲くとひときわ華やぎを増し、秀吉の行った醍醐の花見を思い出させる。
そして最後に現れるのが現代的な「城南離宮の庭」である。離宮の風景と建物を石組で表現した枯山水の庭である。
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