アーカイブ:2009年 8月 29日
本間精一郎遭難地(ほんませいいちろうそうなんのち) 2008/05/15訪問
本間精一郎遭難地
四条通から高瀬川の流れを見ながら木屋町通を北に入る。三本目の橋が紙屋橋と呼ばれているように、高瀬川の西側は紙屋町、東側は下樵木町となっている。現在、紙屋橋の正面にはガレージと小さな木戸がある。その北側の小野という表札のかかる町家の脇に本間精一郎遭難地と書かれた碑が建つ。 本間精一郎は天保5年(1834)越後国三島郡寺泊で酢・醤油の醸造を営む「かくほん」という屋号の豪商の長男として生まれる。嘉永6年(1853)6月ペリーが4隻の軍艦を従えて浦賀に来航したのは、精一郎が20歳の時であった。 郷里… ►続きを読む
一保堂茶舗(いっぽどうさほ) 2008/05/15訪問
一保堂茶舗 寺町通の店構え
京都御苑から寺町通を南に下ると、夷川通の先に一保堂茶舗の大きな建物が現れる。言わずと知れた日本茶の専門店である。まず贈答品でお茶となれば最初に思いつく店でもある。 一保堂が扱うお茶は、いわゆる京銘茶と呼ばれるものである。特に木津川、宇治川両水系の気候で栽培され、宇治発祥の宇治製法でつくられたお茶を中心としているため、穏やかな香りと上品な甘み、まろやかな味わいを特徴としている。お茶は自然の産物であるため、同じ産地でも年毎に異なる気候により茶葉の風味も変わる。そのため吟味して仕入れた茶葉でも1年を通して味が… ►続きを読む
浄土宗西山禅林寺派 瑞泉寺(ずいせんじ) 2008/05/15訪問
瑞泉寺 秀次の墓所
三条通から木屋町通に入った所に瑞泉寺がある。木屋町三条の歓楽街の真ん中にある寺院であるが、境内は嘘の様に静寂である。
瑞泉寺 関白の墓所とは思えないほど小さな山門
瑞泉寺 提灯には政権担当者の紋章である五七桐
天正14年(1586)豊臣秀吉は奈良の東大寺に倣い大仏建立を開始した。文禄4年(1595)には、ほぼ大仏殿方広寺が完成し高さ6丈(約18メートル)の木製金漆塗座像が安置された。しかし翌慶長元年(1596)畿内を襲った大地震のため大仏は大破、そして秀吉も慶長3年(1598)に死去す… ►続きを読む
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