文書と写真・地図による「記憶」の再現

アーカイブ:2015年 8月 08日

京都御苑 凝華洞跡 その3

 

京都御苑 凝華洞跡(きょうとぎょえん ぎょうかどうあと)その3 2010年1月17日訪問 京都御苑 凝華洞跡の駒札  京都御苑 凝華洞跡 その2では元治元年(1864)春から福原、国司、益田三家老の出陣までを書いてきた。この項では甲子戦争の開戦に至る経緯を見ていく。 長州藩の世論が進発へ傾いて行ったことについて、元よりの賛成派であった来嶋又兵衛や池田屋事件といった突発的な衝突を除けば、京都で政情を観てきた久坂玄瑞の意見陳述が最終段階での後押しとなったと云ってもよいだろう。もともと長州藩は根来上総や井原主計の雪冤運動と共に、世子が率兵して上京するという2つの方向で、朝廷政治においての自らの立場の回復を探っていたことは明らかである。 八月十八日の政変以降、久坂玄瑞は3回京都と山口の間を往復してい… ►続きを読む

 

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