文書と写真・地図による「記憶」の再現

アーカイブ:2015年 8月 09日

京都御苑 凝華洞跡 その4

 

京都御苑 凝華洞跡(きょうとぎょえん ぎょうかどうあと)その4 2010年1月17日訪問 京都御苑 凝華洞跡 建礼門側からの眺め  京都御苑 凝華洞跡 その3では元治元年(1864)7月17日までの緊迫した状況を書いてきた。この項では薩摩藩の動向について見て行く。 朝廷内の動きは既に書いてきたように、長州藩を同情する者、あるいは武力衝突回避を望む者が下級公家を中心に増えてきた。これに対して諸藩はどのように捉えていただろうか?まず京都守護職の会津藩と京都所司代の桑名藩は長州藩討伐すべしとの強硬論派であった。これは八月十八日以降の政治情勢を継続し、なおかつ京都の治安を維持する役割を担っている立場の上からは当然の発言であろう。 次に重要なのは薩摩藩の動向である。一年前の八月十八日の政変では会津藩と… ►続きを読む

 

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