文書と写真・地図による「記憶」の再現

アーカイブ:2015年 8月 29日

京都御苑 下立売御門 その2

 

京都御苑 下立売御門(きょうとぎょえん しもだちうりごもん)その2 2010年1月17日訪問 京都御苑 下立売御門  京都御苑 下立売御門で「京都守護職始末」の一文を引用したが、その中に出てくる「新在家の砲声」を明らかにするため、次に下立売門周辺での戦闘状況に目を移す。「元治夢物語」では長州兵を待ち受ける守衛とこれに攻撃をかける児玉・来嶋隊を以下の用に描写している。 然る所に長州方、次第々々に御所近く進み来るよし、頻りに註進有ければ、「心得たり」と下立売御門までの間、築地の陰に鉄炮打手の者二、三十人宛まばらに埋伏させ、長州賊をそしと待かけたり。長州方には斯とも知らず、近々と寄かかれば、中川宮の塀の隠より会津勢二、三十人、筒先をそろへて打出せば、矢庭長州方十四、五人打倒され、手負数知れず。長州方… ►続きを読む

 

京都御苑 下立売御門

 

京都御苑 下立売御門(きょうとぎょえん しもだちうりごもん) 2010年1月17日訪問 京都御苑 下立売御門  京都御苑 中立売御門で書いたように、元治元年7月19日丑の刻(午前2時頃)に陣触れが出され、国司軍は1時間後の午前3時頃から進軍を開始したと考えられている。どの道を使用して洛中に入ったかは明らかでないが、現在のところ一条戻橋で国司信濃と来嶋又兵衛の隊が分かれたとする説を採用する書籍がやや多いように思える。天龍寺の総門から御所の蛤御門まで直線距離で凡そ7.5kmなので2時間程度の行軍で到着したと考えてよいだろう。 堀川通以東の国司軍の御所に至る進軍経路について見て行く。馬屋原二郎の「元治甲子禁門事変実歴談」(防長学友会 1913年刊行)に掲載されている地図には、国司隊が堀川通から一条… ►続きを読む

 

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