徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

妙心寺

 

臨済宗妙心寺派大本山 妙心寺(みょうしんじ) 2008/05/14訪問 妙心寺 三門  仁和寺の二王門を潜り、きぬかけの道に出る。龍安寺方向にきぬかけの道を戻ると、仁和寺の東南の角で一条通に当たる。この一条通を東に進むと京福電鉄北野線の踏切と妙心寺駅に出会う。そのままさらに進むと右手に妙心寺の北総門が現れる。 妙心寺 仏殿  妙心寺は臨済宗妙心寺派大本山で山号は正法山。 平安京の北西部に12町の敷地を占め、三門、仏殿、法堂などの中心伽藍と共に山内塔頭36箇院を持つ大寺院である。この他にも龍安寺などの境外塔頭10箇院を加え、現在妙心寺の塔頭は46箇院に及ぶ。また日本の臨済宗寺院 約6… ►続きを読む

 

仁和寺

 

真言宗御室派総本山 仁和寺(にんなじ) 2008/05/14訪問 仁和寺 御殿北庭  再び北野天満宮の一の鳥居を潜り、今出川通に出る。北野天満宮前停留所から市バス10号に乗り、10分ほどで6つ先の御室仁和寺に着く。 仁和寺は真言宗御室派総本山で山号は大内山。平成6年(1994)に世界遺産に登録される。 仁和寺 二王門 仁和寺 参道と中門 仁和寺 五重塔 仁和寺 五重塔 相輪部分  仁和寺は光孝天皇の勅願で仁和2年(886)に建立が始められた。 北野天満宮の項で触れたように、元慶8年(884)藤原基経によって陽成天皇が廃位された後に光孝天皇は即位する。天長7年(83… ►続きを読む

 

北野天満宮

 

北野天満宮(きたのてんまんぐう) 2008/05/14訪問 北野天満宮 三光門  とようけ茶屋の前の今出川通を横断すると北野天満宮の一の鳥居が目の前に迫ってくる。 北野天満宮 一の鳥居 北野天満宮 参道 北野天満宮 三の鳥居越しの楼門  北野天満宮の祭神は菅原道真公である。相殿に道真の長男・中将殿(高視)、夫人の吉祥女を祀る。梅宮大社や八坂神社と同じ二十二社の下八社の一社で、旧社格では官幣中社。  菅原道真の大宰府への配流やその後の怨霊話しは有名であるが、改めてまとめてみる。 道真は承和12年(845)父 菅原是善、母 伴氏の三男として生まれる。菅原氏は野見宿禰を先祖と… ►続きを読む

 

とようけ茶屋

 

とようけ茶屋 (とようけちゃや) 2008/05/14訪問 とようけ茶屋 看板  龍安寺の山門を出て、きぬかけの道に戻ったのは11時45分。この近くで昼食を摂り、仁和寺、妙心寺方向に向かうことも考えたが、観光客も多いので、一度北野白梅まで戻ることとした。龍安寺前の停留所から市バス59号に乗り、4つ目の金閣寺道で下車する。ここから市バス101号に乗り換え3つ目の停留所である北野天満宮前で下車する。この間30分程度であった。目の前には北野天満宮の大鳥居が見える。今出川通を挟んで北野天満宮に面する とようけ茶屋で本日の昼食を頂く。 とようけ茶屋 北野天満宮の正面  とようけ茶屋は京豆腐の… ►続きを読む

 

龍安寺

 

臨済宗妙心寺派 龍安寺(りょうあんじ) 2008/05/14訪問 龍安寺 方丈庭園  鹿苑寺の黒門を出て、金閣寺前の停留所から京都市営バス59号に乗り、きぬかけの道を西に向いおよそ10分くらい進む。3つ先の龍安寺前で下車し、参道を北に入っていくと龍安寺の山門が現れる。総門は龍安寺前の停留所より南側にあるため、きぬかけの道によって境内を分断された形となっている。山門潜ると左手に鏡容池が広がる。 龍安寺 龍安寺前停留所 龍安寺 総門内の境内  鹿苑寺は臨済宗妙心寺派寺院で山号は大雲山。平成6年(1994)に世界遺産に登録される。  永観元年(983)円融天皇はこの地に円融寺を勅願… ►続きを読む

 

鹿苑寺

 

臨済宗相国寺派 鹿苑寺(ろくおんじ) 2008/05/14訪問 鹿苑寺 鏡湖池と舎利殿  荷物は今夜泊まる旅館に送って頂く事として、女将のお見送りを受けて柊家を後にする。この日は北山の鹿苑寺を初めとして竜安寺、北野天満宮、仁和寺そして妙心寺を廻る予定を組んでいる。いずれも有名な場所であるため修学旅行客を避けることは出来ないと覚悟している。 鹿苑寺 金閣寺道の入口 鹿苑寺 参道 鹿苑寺 新緑の参道  9時30分に京都市役所前停留所から北大路バスターミナルを経由する京都市営バス205号に乗車する。金閣寺道は21番目の停留所となる。真直ぐ河原町通を北に進み、賀茂川を葵橋で渡る… ►続きを読む

 

柊家 その4

 

柊家(ひいらぎや) 2008/05/13訪問 柊家 抹茶と特製銘菓 朧月  部屋に入るとすぐに抹茶が用意される。お菓子は三日月状した薄茶の皮に白い斑の砂糖?をまぶした様はその名のとおり朧月である。中は粒餡が入っている。食べるとほのかに生姜が利いている。こちらも柊の印が入っているので柊家の特製菓子となっている。こちらは加賀屋清和で作られているが、今はお店は閉められていて買うことが出来ないようだ。このあたりのことは、「fran」さんのブログ「まねきねこ」に書かれているのでそちらをご参照ください。そちらに掲載されている写真を見るとお菓子の名称も特製であることが分かる。 柊家 夕食 1… ►続きを読む

 

柊家 その3

 

柊家(ひいらぎや) 2008/05/13訪問 柊家  床の間の窓側には洗面所が作られている。 柊家 洗面台 柊家 洗面台 いろいろなものが並ぶ 柊家 洗面台の左半分 柊家 洗面台の右半分 柊家 洗面台に置かれていた説明書 柊家 洗面台に置かれていた美しいシルエットの腰掛と洗面具  ホテルでも使われる新しい洗面セットが置かれている。洗面台の上には各種のアメニティグッズが置かれている。その他にシャンプーとトリートメントの説明書きが置かれている。確かに見たこともないシャンプーを使用するのには抵抗がある。そのような気持ちに対する配慮とともに、これもまたひとつの… ►続きを読む

 

柊家 その2

 

柊家(ひいらぎや) 2008/05/13訪問 柊家 32号室  今回柊家で宿泊した部屋は、鍵に書かれた名称によると32号室とある。麩屋町通から西方向へ玄関を入り、「来者如歸」の額のかかる間に上がる。そこから北側に伸びる廊下の右手側の部屋であったので、部屋の窓先は麩屋町通に面した塀となる。 柊家 客室玄関 この部分は比較的新しい造りとなっている 柊家 客室玄関 棚と冷蔵庫 柊家 客室玄関 冷蔵庫置き場 ミニチュアボトルと腰壁のスクラッチタイルに時代を感じる 柊家 客室玄関 冷蔵庫の上にはワインオープナーまで用意されている 柊家 客室扉  板張りの廊下から部屋の… ►続きを読む

 

柊家

 

柊家(ひいらぎや) 2008/05/13訪問 柊家 姉小路側から眺める  表千家 裏千家が並ぶ小川通から本法寺の境内を通り抜け、堀川通に出る。裏千家の茶道総合資料館の前を過ぎ、堀川寺ノ内の停留所から市バスに載り、堀川丸太町に向う。ここで市バスを乗り換え、京都市役所前で下車する。今朝コインロッカーに預けた荷物を引き出し、今夜泊まる柊家へ向う。 柊家 御池通の角 柊家 御池通側から眺める 柊家 玄関以外にも建物へ入る木戸がいくつか見られる 柵は開けられるようにできている 柊家 玄関玄関脇の木戸 こちらは勝手口のようだ  柊家は御池通から麩屋町通へ入る西の角に位置する。… ►続きを読む

 

表千家と裏千家

 

表千家と裏千家(おもてせんけとうらせんけ) 2008/05/13訪問 表千家 表門は文政5年(1822)紀州家よりの拝領  百々橋の礎石が保存されている寺之内通小川の先には、表千家と裏千家が並ぶ。 元亀4年(1573)織田信長によって足利義昭が京都から追放され室町幕府が崩壊する。利休が信長の茶堂となった正確な時期は分からないが、天正元年(1573)頃には信長に仕えていたと考えられている。信長は茶の湯を嗜むだけではなく、茶の湯を政略的に利用した。特に茶器の蒐集に力を入れ、手柄を立てた家臣には恩賞として名物の茶器が与えられた。領国や禄など有限の資産ではなく、信長により無形の価値が茶器に付与さ… ►続きを読む

 

百々橋

 

百々橋(どどばし) 2008/05/13訪問 百々橋の礎石 寺之内通小川  足利将軍室町第址の碑み右手に見ながら、室町通を北へ入る。2本目の通り右に曲がると烏丸通に面した大聖寺門跡の山門が角に見える。義満の正室の叔母にあたる日野宣子は、無学祖元の弟子・意翁円浄に参禅し、貞治7年(1368)に出家して、大聖院無相定円尼と号した。将軍義満は安禅所として室町邸内に建てられた岡松殿に無相定円尼を迎えた。永徳2年(1382)57歳で亡くなると,その遺言に従い岡松殿を法名にちなんで大聖寺とした。創建以来、応仁の乱等の兵火に度々遭い移転を重ね、長谷(現在の岩倉長谷街)から、文明11年(1479)毘沙門… ►続きを読む

 

足利将軍室町第址

 

足利将軍室町第址(あしかがしょうぐんむろまちていあと) 2008/05/13訪問 足利将軍室町第址 今出川通から室町通に入る北東の角に建つ  京都御苑を今出川門から出て、烏丸今出川の交差点を渡る。今出川通から室町通に入る北東の角に大正4年(1915)京都市教育会が建立した碑が立っている。ここには      「従是東北 足利将軍室町第址」 と記されている。ここが室町幕府 花の御所の西南の角に当たる。  足利幕府の将軍の邸宅がどのように変遷して行ったかについては、「はむはむ」さんのブログ(http://djungarian.typepad.jp/weblog/2007/03/post_b… ►続きを読む

 

京都御苑

 

京都御苑(きょうとぎょえん) 2008/05/13訪問 京都御所 皇后門と西面  京都御所の参観後、京都御苑内を散策しながら、烏丸今出川の方向へ向かう。 京都御苑 西園寺邸跡 京都御苑 西園寺邸跡に建つ白雲神社 もとは邸内にあった社 京都御苑 白雲神社  幕末の京都御所周辺の状況は、国際日本文化研究センターに保管されている文久3年(1863)に作られた内裏圖を見ることで想像できる。この内裏圖の外周部には北に今出川通、南に丸太町通、西に烏丸通、東に寺町通が描かれている。現在の京都御苑の外郭線を収めた図であることが分かる。この地域の大部分の土地が公家の屋敷によって占められて… ►続きを読む

 

京都御所 その2

 

京都御所(きょうとごしょ) 2008/05/13訪問 京都御所 御池庭  京都御所の主だった建物については、その1で記したので、参観順路に従いそれ以外のことを含めて見て行く。参観者は清所門から中に入り、そのまま南に進んだところにある参観者休所で、事前のビデオを見て開始時刻を待つ。 京都御所 宣秋門 京都御所 宣秋門の装飾  参観者休所を出ると右手に宣秋門が現れる。この門は5月15日に行われる葵祭りの際、御所から出発する隊列が通る順路となっていることで有名である。もともと宮家、摂家その他の公卿が参内する時に用いられた門であることから公卿門とも呼ばれている。また檜皮葺き、切妻屋根… ►続きを読む

 

京都御所

 

京都御所(きょうとごしょ) 2008/05/13訪問 京都御所 承明門から紫宸殿を眺める  昼食を終え、再び烏丸丸太町の交差点に戻ったのが13時近かった。仙洞御所の参観と同様、13時20分までに清所門に到着しなければならない。京都御苑の中でも北よりなので、地下鉄烏丸線で1駅先の今出川駅で下車して歩くこととした。烏丸通沿いの乾御門より京都御苑に入り御所の清所門を目指す。 京都御所 月華門から日華門を眺める  元々平安京の皇居は、朝堂院の北東に隣接する内裏であった。内裏の規模は南北300メートル、東西220メートルと少し小さなものであった。当時の内裏の紫宸殿の回廊の南正面にあった承明門… ►続きを読む

 

丸太町十二段家

 

丸太町十二段家 (まるたまちじゅうにだんや) 2008/05/13訪問 丸太町十二段家 丸太町通に面した店の外観  仙洞御所の見学を終え、大宮御所の正門から外に出たのが11時45分。次の京都御所の参観は13時30分から。まだ1時間30分あるので、昼食のため下立売門より京都御苑の外に出る。烏丸通を南に下り、烏丸丸太町の交差点を西に入ったところに丸太町十二段家がある。こちらの店のメニューには元祖お茶漬け と 牛肉のしゃぶしゃぶ、そしてビーフステーキが並べられている。旅館の夕食と朝食は比較的しっかりしたものが出るので、旅先での昼食はそれほど重いものでない方が良いかと思いこの店のお茶漬けを選んだ… ►続きを読む

 

仙洞御所 その2

 

仙洞御所(せんとうごしょ) 2008/05/13訪問 仙洞御所 南池の洲浜  仙洞御所の北池に続き南池とともにこの庭園を造営させ、おそらく自分の好みに変更させた後水尾上皇と徳川幕府について書いていく。 仙洞御所 八ツ橋と洲浜 仙洞御所 八ツ橋からもみじ橋を眺める  しかし慶長8年(1603)徳川家康が征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開くと情勢に変化が出た。徳川幕府は、京都を離れ東の江戸で権力基盤の形成を行った。室町幕府以降秀吉まで政権を京都あるいは大阪に置き朝廷の距離をなるべく近づけていたのに対して、徳川幕府は一定の距離を朝廷との間にとる政策に変更してきた。そして権威の抑制をは… ►続きを読む

 

仙洞御所

 

仙洞御所(せんとうごしょ) 2008/05/13訪問 仙洞御所 北池  閑院宮邸を出て、京都御苑の中を仙洞御所に向かう。11時からの参観であるため、10分前までに大宮御所の正門に到着しなければならない。閑院宮から大宮御所へは早歩きでも10分以上かかる。正門で出力した参観許可通知を見せると門内の参観者休所に導かれる。こちらでロッカーに荷物を入れ、仙洞御所の紹介ビデオを見ながら参観開始時刻を待つ仕組みになっている。 仙洞御所 北池への潜戸  皇居・桂離宮・修学院離宮・京都御所、そして仙洞御所の参観は事前に宮内庁に申し出なければならない。以前に訪れたときは、往復葉書のみだったが、現在はW… ►続きを読む

 

京都御苑 閑院宮邸

 

京都御苑 閑院宮邸(きょうとぎょえん かんいんのみやてい) 2008/05/13訪問 閑院宮邸 中庭  新島襄旧邸の前の寺町通をそのまま南に下るとすぐに丸太町通に出る。右に曲がり、京都御苑沿いに歩くと富小路口の門が現れる。ここから御苑内に入り、御苑の南西角にある閑院宮邸まで歩く。苑内は砂利敷きとなっているのでなかなか歩きにくい。その上、目標が見えていてもなかなか近づいて行く感触が沸かない。私たちの暮らしている町並みとはスケールが違い、感覚が合わないためだろう。九条池を過ぎ、やっと閑院宮邸の門が見えた。 国際日本文化研究センターに所蔵されている文久3年(1863)に作成された内裏図によると… ►続きを読む

 
 

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