文書と写真・地図による「記憶」の再現

南禅寺 金地院

南禅寺 金地院(なんぜんじ こんちいん) 2008/05/12訪問

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南禅寺 金地院 方丈庭園

 南禅寺 天授庵から山門の前を通り、勅使門と並んで建てられている表門の外に出たところに左に曲がる道がある。この道に入ると金地院という表札が架けられた門があり、それを越えた先の右手に南禅寺 金地院がある。

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南禅寺 金地院への門
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南禅寺 金地院は右側
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南禅寺 金地院 庫裏につながる2つ目の門

 応永年間(1394~1427)に室町幕府4代将軍足利義持が南禅寺第68代住持 大業徳基禅師を開山として洛北・鷹ケ峯に創建したのが金地院の始まりである。慶長10年(1605)南禅寺第270代住持となった以心崇伝禅師により、三門の南西に位置する現在の地に移築された。

 以心崇伝は永禄12年(1569)室町幕府に仕える一色秀勝の第2子として京都に生まれる。幕府滅亡に伴い南禅寺に入った崇伝は、玄圃霊三禅師に師事した。一時は醍醐三宝院で学んだり、相国寺の西笑承兌とも親交を持ったが、最終的に南禅寺金地院の靖叔徳林より嗣法した。文禄3年(1594)に住職資格(出世の公帖)を得て、福巌寺や鎌倉の十刹寺院である禅興寺の住持となった。慶長10年(1605)建長寺に住し、翌月には南禅寺の住持に就任する。
 慶長13年(1608)、徳川家康に招かれて駿府に赴く。西笑承兌の後任として外交往復文書の書記となった。西笑承兌は相国寺中興の祖であり、豊臣秀吉や徳川家康の顧問的役割を務めた。特に外交文書や諸法度の起草、学問奨励策や寺社行政の立案や、法要などの仏事の運営に重要な役割を果たしてきた。慶長12年(1608)に死去する前に崇伝を推挙していたことは想像できる。崇伝は次第に頭角を顕し、幕政に参画し重く用いられるようになる。
 この後、京都所司代 板倉勝重とともに寺社行政に携わり、慶長19年(1614)のキリスト教 禁教令や、元和元年(1615)の「武家諸法度」「禁中並公家諸法度」「諸宗寺院法度」など多くの法令制定に関係した。
 また豊臣家との戦いである大坂の冬の陣の発端にもなった方広寺鐘銘事件にも関与する。ちなみに鐘銘を起草したのは同じ南禅寺の禅僧 文英清韓であった。この事件により住職をしていた東福寺 天得院は取り壊され、文英清韓も蟄居となった。

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南禅寺 金地院 明智門と方丈屋根
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南禅寺 金地院 大徳寺から移築された明智門

 徳川家康のブレーンとしては天台宗の南光坊天海がいる。天海は朝廷政策・宗教政策に重用されたのに対し、崇伝は外交から法令制定と幕政の根幹となる部分にも関与している。このことからも非常に有能な官僚であったことが分かる。
 元和2年(1616)に家康が死去すると神号を巡り天海と争う。崇伝は明神として吉田神道で祀る事を主張するが、最終的には天海の主張する権現として山王一実神道に祀る事に決定する。明神は豊国大明神に通じて縁起が悪いとされたからである。

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南禅寺 金地院 弁天池 右側に鳥居が見える
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南禅寺 金地院 東照宮への参道 鳥居が見える
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南禅寺 金地院 東照宮への参道 神門を見る

 元和4年(1618)に江戸の増上寺の横に金地院を建立し、政務をこなすために京と江戸の間を往還する。翌元和5年(1619)には僧録に任命される。
 僧録とは僧侶の登録・住持の任免などの人事を統括した役職であり、中国では唐の元和年間(806~820)に設置されたとされている。日本でも建武3年(1336)に足利尊氏が禅律方を設置し、禅宗(臨済・曹洞両宗)及び律宗(真言律宗を含む)などを統括した。その後、康暦元年(1379)足利義満が事実上の相国寺の開山国師である春屋妙葩を初代の僧録に任命した。その後、相国寺塔頭鹿苑院の住持が兼務することとなり、鹿苑僧録と呼ばれるようになった。
 江戸幕府が成立すると元和元年(1615)諸宗寺院法度が制定され、僧録が廃止される。しかし4年後に以心崇伝が僧録に任命された。以後、南禅寺金地院の住持が僧録を兼務するようになり、金地院僧録と呼ばれるようになった。
寛永3年(1626)には後水尾天皇より円照本光国師の諡号を賜るが、翌寛永4年(1627)紫衣事件においては大徳寺、妙心寺の高僧を厳罰に処することを主張するなど、直接的ではないにしても後水尾天皇の退位(寛永6年(1629))を後押しすることとなった。
 このように幕政に参画し、自らに権限を集中化することで、黒衣の宰相と呼ばれたり、庶民からは大慾山気根院僣上寺悪国師というあだ名をつけられている。

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南禅寺 金地院 東照宮 修復中
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南禅寺 金地院 東照宮から方丈への石段 このあたりに弁天堂があった

 金地院の2つ目の四脚門を入ると正面右に庫裏、左に方丈の屋根と唐門が現れる。この唐門は明智門と呼ばれ、天正10年(1582)に明智光秀が母の菩提を祀るため、黄金千枚を寄進し大徳寺内に建立したものであるが、明治元年(1868)に金地院に移築された。それほど大きな門ではないが、格式というよりは軽快な感じを与える非常に美しい門である。
 この門をくぐると正面に弁天池が現れる。中島には弁財天が祀られている。もともと東照宮と開山堂の間の斜面にあった池庭を明治初年この場所に移したと拝観のしおりでは説明している。明智門を移築したときに行ったのであろう。
 拝観経路に従うと弁天池の裏側から東照宮の参道に出る。東照宮なので参道の途中には鳥居が建つ。寛永5年(1628)崇伝が徳川家康の遺言により、家康の遺髪と念持仏とを祀って造営したものである。創建当初は諸堂が建ち並び、日光東照宮と比べられる程だったといわれるが、見たところでは参道の入口に立つ神門と権現造の本堂のみが現存していると思われる。
 東照宮の本堂脇から以心崇伝の塔所である開山堂の前を通り、方丈の西端へと順路はつながる。このあたりはかなりの勾配で下っていく。東照宮は金地院の中で一番高台に置かれていたので、あまり気がつかなかったが参道を歩く間でかなり上ったのだろう。この下りの間に先の弁天池の元となった池泉があったのだろう。今は竹林となっているため、ただ石段を下って行くという感じだが、元はもう少し開けていて池を見下ろすことができたのではないか?

 方丈の前に立つとあらためてこの建物の大きさが分かる。慶長16年(1611)に伏見桃山城の一部を徳川家光から賜り、移築したものと伝わる。こけら葺入母屋造の書院建築。

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南禅寺 金地院 方丈庭園

 方丈の前に広がる方丈庭園は小堀遠州の作で鶴亀の庭と呼ばれている。
 崇伝の日記 本光国師日記によると、寺領の寄進を受け寛永4年(1627)から同7年(1630)にかけて改築、増築が行われたことが伺える。方丈の改築工事に先ず着手し、狩野探幽に方丈障壁画の発注、茶室や東照宮の普請を遠州に依頼している。
 この時期、崇伝は二条城の唐門を拝領し、金地院に移築する工事にも着手している。この唐門は明治13年(1880)に豊国神社に移築されている。
 都林泉名勝図会によると、現在の弁天池のあたりに唐門が建てられていたことが分かる。国宝に指定されているこの門は非常に大きなもので、南禅寺の勅使門としても不思議でないような建造物である。方丈あるいは庭へのアプローチに変更があったため、明智門が移築されたとも考えられる。それにしても桃山時代の最も勇壮なこの門が金地院に残っていたならばまた印象が異なることだろう。もともとこの門も方丈と同じく伏見城の遺構とも言われている。 これ以外にも庫裏の改築なども行い、寛永7年(1630)に造園に取り掛かったようである。こうして寛永7年(1630)10月には、新しい金地院が完成した。

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南禅寺 金地院 方丈庭園 鶴島
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南禅寺 金地院 方丈庭園 三尊石の石組
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南禅寺 金地院 方丈庭園 亀島

 白砂は方丈の間口とほぼ同じ大きさに展開している。奥行きも間口の3分の1程度を確保している。庭の中央に三尊石の石組みを設け、左に亀島、右に鶴島を配置している。そしてその手前に平坦な大石を礼拝石として伏せてある。
 先の都林泉名勝図会の右側では、方丈庭園のほぼ全域が紹介されている。この図会によると開山堂の奥に弁天堂があり、開山堂とともに池泉が巡らされている。方丈庭園は右側はこの池泉によって閉じられるが、位置的には現在の東照宮から降りてくる石段とそれほど変わらないように見える。
 方丈に上がり庭を見るが、なかなか全景をおさめることができない。そのためこの庭の印象は、左側の鶴島から順番に見ていったものの総和によって出来上がっているように思う。または全体像の把握よりディテールの確認に鑑賞の対象が移ってしまうかもしれない。個人的には少しスケールが大き過ぎ、掴まえ難い庭という感想が残る。南禅寺 本坊のスケール感の方がより人間的であるように思える。

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南禅寺 金地院 方丈庭園 方丈から開山堂へ続く飛び石
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南禅寺 金地院 方丈庭園 方丈から眺め

 さて創建当時はこの方丈庭園から東照宮は見えたのだろうか?現在は樹木も成長し、完全に見えないが、方丈、礼拝石・庭そして東照宮の構成からは見えることが前提に造られている。家康と崇伝の深い関係そして、家康亡き後も幕府の中で生き残っていく上では、そのような姿勢を明示することが重要なことだと思う。崇伝はそのように考えていたのだろうか?少なくとも人間関係に慎重な小堀遠州は、そのような布石は打っている。

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南禅寺 金地院 東照宮の神門 境内からは見えない位置にあるので帰り際に忘れずに

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