洛中の町並み その4 姉小路通
洛中の町並み(らくちゅうのまちなみ) 2008/05/15訪問
2日間、京都の中心部に宿泊できたため、旅館の周りの町並みを見ることができた。まずは南北に四条通と御池通、東西に河原町通、烏丸通の4つの大路に囲まれた町並みを通り毎に見ていく。
姉小路通は御池通の1本南側の通りで、東は木屋町通から西は西大路通の先まで続く全長約3.7キロメートルの通り。通りの原型は平安京の姉小路である。御池通や三条通に比べると静かな町並みではあるが、町家造りの老舗が多い。
河原町通から姉小路通に入る。本能寺の南を通り、寺町通に出る。道は鳩居堂の角で北側にクランクする。鳩居堂は寛文3年(1663)創業の香と文具を扱う老舗であるが、創業当初は薬種商であった。
御幸町通の角にはデリカテッセンとサンドイッチを販売する「なが田」の壁面サインが見える。京都の町家を改装し、ガラス面の大きい開放的な店舗となっている。
この先には「蕎麦ほうる」で有名な総本家河道屋が左側に店を構えている。晦庵河道屋で説明したように、総本家河道屋と晦庵河道屋は元は河道屋としてひとつの店であった。創業の時期ははっきりしないようだが、元禄(1688~1703)から宝永(1704~1710)年間には既に上京で商いをしており、享保8年(1723)頃にはこの地に移転してきたと考えられている。そのため創業300年位としている。他の蕎麦屋と同様に、昔から菓子と蕎麦を扱う店であったようだ。昭和7年(1932)先々代の当主が蕎麦を扱う店を晦庵の地に移し、そして総本家河道屋を蕎麦ほうるを扱う店とした。蕎麦ほうるに使用している材料はほぼ蕎麦と同じで、そこに卵と砂糖を足した、いわゆるクッキーである。蕎麦屋の手持ちの材料、手打ちの技術で、のして焼いたものが蕎麦ほうるの発祥だと考えられている。河道屋の蕎麦ほうるには梅の形をした「花」と丸い形の「つぼみ」があるが、花だけの包みや丸だけの包みもある。なんとなく丸の方が美味しいと思っている人が多いのではないだろうか?丸の方がなんとなく味が濃いような気がする。あの大きさが焼き具合として程よい硬さとなるのだろうか。
ちなみに「蕎麦ぼうろ」と呼ぶ人もいるが、河道屋では南蛮人から伝わってきた言葉は「ほうる」であったので商品名も看板も「蕎麦ほうる」としている。「ほうる」は室町時代、外国の宣教師が布教のために、配った「ボーロ」が始まり。意味は小麦粉と砂糖や卵の焼き菓子。特定の呼び名ではなかったが、江戸時代初期には、丸く焼いた菓子自体を「ほうる」と呼ぶようになっている。
麩屋町通との角に豆腐を扱う平野商店がある。とようけ屋山本の紹介によると俵屋、柊家、炭屋など有名旅館をお得意先としているようだ。
姉小路通と富小路通との角には姉小路界隈町式目 平成版の札が立つ町家がある。この町式目は昔ながらの景観と京町家の持つ居住環境を守るために作り出されたものであるが、経済理論によって増殖するマンションの侵食を止めることは難しい。
東洞院通を越えると左側に旧京都中央電話局を改装したショッピング施設・新風館、そして右角に柚味噌で有名な八百三が現れる。
八百三の並びには安政3年(1856)創業の京表具 春芳堂と文化元年(1804)創業の菓子匠 亀末廣がある。
「洛中の町並み その4 姉小路通」 の地図
洛中の町並み その4 姉小路通 のMarker List
No. | 名称 | 緯度 | 経度 |
---|---|---|---|
姉小路通01 | 35.0097 | 135.7671 | |
姉小路通02 | 35.0098 | 135.7662 | |
姉小路通03 | 35.0098 | 135.7634 | |
01 | ▼ 鳩居堂 | 35.0099 | 135.767 |
02 | ▼ なが田 | 35.0098 | 135.7663 |
03 | ▼ 総本家河道屋 | 35.0097 | 135.7659 |
04 | ▼ 晦庵河道屋 | 35.0096 | 135.7656 |
05 | ▼ 彩雲堂 | 35.0097 | 135.7658 |
06 | ▼ 平野商店 | 35.0099 | 135.7656 |
07 | ▼ 姉小路界隈町式目 | 35.0099 | 135.765 |
08 | ▼ 旧京都中央電話局 | 35.0093 | 135.7603 |
09 | 八百三 | 35.0099 | 135.7609 |
10 | 春芳堂 | 35.0099 | 135.7605 |
11 | ▼ 亀末廣 | 35.0099 | 135.7603 |
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