亀末廣
亀末廣(かめすえひろ) 2008/05/15訪問
中京郵便局を過ぎてさらに三条通を西に進むと烏丸通に出る。右手にNTT西日本と新風館を見ながら北に行くと姉小路通に当たる。この道を東に入ったところに亀末廣の建物が現れる。
亀末廣の創業は文化元年(1804)のことである。伏見・醍醐の釜師であった初代・亀屋源助が京に店を出し、二条城や御所に菓子を納めてきた。御所や二条城からの注文はその度毎に新作を作るものであったため、木型師が専用の木型を作成しても一回だけ使って用済みとなることも多かった。そのため亀末廣にはたくさんの木型が残った。これを再利用して「御菓子司亀末廣」の看板を作成し、姉小路通に掲げた。
亀末廣を代表する菓子である干菓子は3代目当主の時代に確立したと言われている。風味と豊かな色彩を干菓子に与えることで、四季折々の草花を表現できるようになった。俳句や和歌に思い巡らせる出来栄えとなっている。
「京のよすが」は、四畳半に区切った秋田杉の箱に、季節感あふれる干菓子や有平糖、半生菓子などが詰め合わされたものである。季節に応じて内容は変わるため、その度毎に店を訪れる常連客も多い。
亀末廣には数十人の職人を抱え、菓子メーカーとして手広く商いをしていた時期もあったらしい。しかし先代の時代より、「一対一の商い」を経営の基本方針とし、一人のお客様とのふれあいを大切にしてきた。顔を合わせ、心を込めて作り上げたお菓子を、直接手渡しすることを重視し、通信販売全盛の時代にも原則としては店頭のみの販売としている。また雑誌等のメディアへの露出を避けているようで、京都における知名度もそれ程高くないようだ。
また亀末廣には、暖簾分けした店が多くある。亀廣永や亀廣保など京都には「亀」で始まる3文字のお菓子屋さんは6軒くらいあるが、これらは亀末廣の暖簾分けした店だと思われる。
東京から来た観光客が立ち入るには、なかなか敷居の高いお店ではある。こちらで購入した「お千代寶」は和三盆を使った菓子である。大層高価であったが、今まで食べたことがないような甘さと舌触りであった。あっという間に口の中で溶けて無くなって行く感触は、他の菓子で経験したことがなかった。そして後に残る仄かな甘さがすばらしく、あっという間に購入したお菓子をすべて食べてしまった。これだけのことでは、亀末廣を知ることができないことは分かっているが、何か奥深さの一端を覗くことができた様な気になった。
この記事へのコメントはありません。