本間精一郎遭難地
本間精一郎遭難地(ほんませいいちろうそうなんのち) 2008/05/15訪問
四条通から高瀬川の流れを見ながら木屋町通を北に入る。三本目の橋が紙屋橋と呼ばれているように、高瀬川の西側は紙屋町、東側は下樵木町となっている。現在、紙屋橋の正面にはガレージと小さな木戸がある。その北側の小野という表札のかかる町家の脇に本間精一郎遭難地と書かれた碑が建つ。
本間精一郎は天保5年(1834)越後国三島郡寺泊で酢・醤油の醸造を営む「かくほん」という屋号の豪商の長男として生まれる。嘉永6年(1853)6月ペリーが4隻の軍艦を従えて浦賀に来航したのは、精一郎が20歳の時であった。
郷里を後に江戸へ向い、昌平黌と安積艮斎の塾に入門する。この塾では清河八郎らと親交を結ぶ。そして勘定奉行・川路聖謨に中小姓として仕える。安政5年(1858)老中堀田正睦の副役として上洛した後、川路聖謨は安政の大獄の粛清により西丸留守居に左遷となる。この時期に精一郎も川路の元から離れる。
京に上った精一郎は、田中河内介、頼三樹三郎、吉村寅太郎、有馬新七、真木和泉ら著名な尊攘派志士と交わり、薩摩や土佐に倒幕を説いて廻る。精一郎はいずれの藩にも属さなかったため、急進派に属している。しかし文久2年(1862)4月23日に勃発した寺田屋事件により、関白九条尚忠と京都所司代酒井忠義邸を襲撃する計画は実行されず、薩摩藩自体の政策も公武合体に変更されることとなる。
精一郎は元来、利発で勝気な気性の上、論争に強かった。そのため特に貧しい出の学問に疎い浪士達にとっては煙たい存在であったと思われる。また、この頃より精一郎は公卿に接近し、薩摩・長州・土佐藩を批判する発言が増えてくる。薩摩・土佐の両藩士からも精一郎は目障りな存在となって行った。
文久2年(1862)閏8月20日夜、先斗町四条上ル大駒料理店の帰途、本間精一郎は浪人数人に襲われる。下瓢亭の向いの瓢箪路地(39番路地)を、先斗町通から木屋町へ抜け出ようとするところを、挟撃された。首は四条河原に立札とともに梟された。
「この者の罪状、今更申すまでもなく、第一虚喝をもって衆人を惑わし、その上高貴の御殿方へ出入り致し、詭弁をもって薩長土の三藩を種々讒訴致し、有志の間を離し、姦謀相巧み、あるいは非理の財富を貪り、そのほか筆舌に尽し難し。このまま差し置いては無限の過害を生ずべきにつき、かくのごとく梟首せしむるものなり。閏八月二十一日」
刺客は薩摩藩の田中新兵衛、土佐藩の岡田以蔵、田辺豪次郎、弘瀬健太、千屋熊太郎、平井収二郎、小畑孫二郎、島村衛吉、大石団蔵ら9名とされている。「人斬り新兵衛」と「人斬り以蔵」によって計画的に行われた暗殺から逃れることはできなかっただろう。
先斗町39番路地は、現在は通り抜けできない状態になっている。この路地の途中の民家の窓格子には、本間らが斬り合いをした時の刀痕が残っていた。
今回の訪問ではこの刀痕を見つけることが出来なかったが、ya*m*i*a*oa*n*iky*さんの京都検定合格を目指す京都案内のHP(https://blogs.yahoo.co.jp/yamaibaaosainaikyo/58416620.html : リンク先が無くなりました )には、周囲の状況の分かる写真が掲載されている。また、「うさぎのアトリエ ぴょんぴょこぴょん」さんの書かれている「京都町家暮らし いろいろ」の中には、まだ木屋町と先斗町がつながっていた当時の写真とともに39番路地についてのことが詳しく書かれている。この不鮮明な写真でも刀痕が明らかに残っている。どうもこの2つの写真と記載から、39番路地は碑のある建物(小野醤油店)のひとつ南のガレージに使われている建物の先にあり、元の路地の幅は現在の町並みから想像できないほど広かったようだ。この路地は、紙屋橋の先に並ぶたん熊北店と先斗町を結ぶものでもあるようだ。
本間精一郎というほぼ無名に近い草奔の志士の遭難場所について、実に多くの人がHPなどで記述していることに驚く。おそらくこの碑がなければ、その多くはなかったとも思われる。そういう意味でも碑を建立するということは、良くも悪くも多くのものを後世に伝えることとなる。
木屋町通の周辺には坂本竜馬、中岡慎太郎あるいは佐久間象山などの寓居の跡などが多くの歴史が伝えられている。その中にどうしてこの碑が建立されたのか?中村武生氏は「京都の江戸時代をあるく」の中で、京都市教育会と寺井萬次郎の建碑を説明することによって、この疑問を解き明かしている。
この路地の出窓に刀痕が遺されていることにより、この時代に行われた天誅という名の暗殺を私達も追体験できる。この体験を後世に残すために、寺井萬次郎によって碑が建てられたと、中村氏は推測している。全くその通りだと思う。だからこそ、この碑の価値はそれがたとえ無名の志士であっても変わらない。
この記事へのコメントはありません。