櫻本陵
櫻本陵(さくらもとのみささぎ) 2008年05月17日訪問
大豊神社から再び哲学の道に戻り、北に向かい進む。地図の上では、南側から霊鑑寺、安楽寺、法然院が並ぶあたりは、大文字山の裾野であり、その西側は既に宅地化されている。安楽寺の前に東西50メートル南北100メートル位の大きな緑地が残っている。ここが冷泉天皇の櫻本陵である。哲学の道からよーじや銀閣寺店で東に入り、真直ぐ進むと正面に現れる。
冷泉天皇は天暦4年(950)村上天皇の第2皇子として生まれる。第1皇子の広平親王を押しのけて生後間もなく立太子となる。これは時の権力者である藤原実頼・師輔兄弟の力が働いていたと考えられている。康保4年(967)村上天皇の崩御を受けて18歳で即位する。紫宸殿で即位式が行われるようになる最初の式であった。
冷泉天皇が即位すると空位となった皇太子の座を巡って、村上天皇の第4皇子・為平親王と第5皇子・守平親王の間で安和の変が起こる。年長の為平親王が東宮となることが当然視されていたが、親王の妃の父が左大臣源高明であったことから問題が生じた。為平親王が東宮となり将来皇位に就くとなれば、源高明が外戚となり権勢を振うことになる。藤原氏はこれを恐れていた。
安和2年(969)源満仲と藤原善時が、橘繁延と源連の謀反を密告する。この事件が思いの他拡大し、源高明が謀反に加担していたとされ、太宰員外権帥に左遷することが決定する。冷泉天皇は、皇太子時代から精神に病があったため、安和の変の後に守平親王(円融天皇)に譲位を行い、冷泉院上皇となる。
在位の短かった冷泉院上皇ではあるが、円融天皇、花山天皇より長生きをし、寛弘8年(1011)に62歳で崩御している。
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