文書と写真・地図による「記憶」の再現

アーカイブ:2010年 2月 09日

岡崎神社

 

岡崎神社(おかざきじんじゃ) 2008年05月17日訪問 岡崎神社 本殿  御辰稲荷神社から丸太町通を平安神宮・神苑の鬱蒼とした森を見ながら東に進み、蒲生君平先生仮寓御趾の石碑前を過ぎる。丸太町通と白川通が交わる天王町の交差点の手前に、黒谷の南斜面から森が続くように木々の色が濃くなる場所がある。丸太町通に面した細い入口には石の鳥居が建ち、背の高い木々が並ぶ参道は奥に向けて少しづつ上り、岡崎神社の本殿へと導く。 社伝によると延暦13年(794)桓武天皇の平安京遷都に際し、王城鎮護のため都の四方に建てられた社の一つとされている。東方を守護したころから東天王社と称したとされている。この東天王社は、現在の社地ではなく北白川の地で祀られたと考えられている。そして弘仁年間(810~824)の社殿の炎上後… ►続きを読む

 

蒲生君平先生仮寓御趾

 

蒲生君平先生仮寓御趾(がもうくんぺいせんせいかぐうおんあと) 2008年05月17日訪問 熊野神社 丸太通から  御辰稲荷神社から丸太町通の北側を天王町の交差点に向かい歩く。平安神宮の東境界を走る岡崎通と丸太町通が交差する地点の手前の民家の軒先に2本の石標が立つ。 左の石標には小沢蘆庵宅址とある。これは大正6年(1917)に京都市教育会が建立している。 小沢蘆庵は江戸時代後期の歌人であり、国学者。享保8年(1723)尾張藩竹腰家家臣・小沢喜八郎実郡の末子として難波に生まれる。小沢氏は大和宇陀郡の松山藩織田氏家臣であったが、祖父の代に家名断絶したため、父は諸国を流浪した後大坂に住んでいる。蘆庵が十代の頃、尾張藩京都留守居番本荘三丞勝命の養子となるが、宝暦7年(1757)小沢家に復する。30歳の… ►続きを読む

 

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