徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

京都の名庭巡り その3



京都の名庭巡り その3

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 ★★★☆も同じく4つの庭を他より一段高く置きました。選んだ後で眺めてみると偶然ですが4つの作品とも東山に作られた庭でした。

 高台寺円徳院は豪放な桃山文化を象徴する庭園です。少し上に入れた醍醐寺三宝院庭園には及ばないまでも見逃すことのできない庭だと思います。特に醍醐寺三宝院は写真撮影不可となっているため、桃山風庭園を鑑賞する上では欠かせないものとなっています。

 智積院庭園は東山の地形と建物と長谷川等伯の桜図・楓図を含めた上での評価です。東山の西面に築かれた庭園は、同じ形式の知恩院庭園や東福寺普門院庭園などと比較して、庭園の間口・奥行・高さの空間比率や規模から見ても非常にバランスの良い庭だと思います。西側斜面に作られた庭ですので、午後遅くなると陽が落ちてしまいます。できれば長い時間かけて庭の変化を楽しめると良さが見えてくると思います。

 東福寺本坊方丈庭園と無鄰庵庭園は近代庭園です。東福寺本坊は重森三玲の処女作とといってもよいような作品です。方丈を巡る4つの庭はそれぞれ異なったテーマで作庭されているにも関わらず、非常に一体化しています。東福寺のような古刹に現代芸術の美意識を持ち込もうとする意欲も強く見える作品となっています。さらに注目すべきは、最初期の作品にもかかわらず完成度が高い点です。このままでは次の作品が創れないのではないかと心配するほどのテーマをこの庭に注ぎ込んでいます。もちろんそのような心配が不要であることは重森三玲のその後の作品を見てゆけば分かることです。いずれにしても最初の作品と最後の作品を京都で見ることができることは羨ましいことです。

 無鄰菴庭園は7代目小川治兵衛の最良の作品と見てよいでしょう。多くの小川治兵衛の作品が、明治初期の東山・南禅寺界隈に新たに形成された別荘地に作られました。そのため現在でも公開されていない庭が多くあります。公開されている治兵衛の作品で比較的維持管理がきちんと行われているのは、残念ながら無鄰菴庭園と平安神宮神苑くらいだと思います。その中でも東山の借景と琵琶湖疏水の引き込みを活かした近代日本庭園の好例として先ずは無鄰菴庭園をあげました。芝生を大きく敷いた庭に、いろいろな水の流れを変化させるなど自然主義的な表現を用いています。それまでの観念的でどちらかというと暗くて湿った印象を与える日本庭園を明るく健康的なものに変革したのは小川治兵衛の功績だと考えます。

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 ★★★の12の庭園の内、嵯峨院址大沢池庭園、平等院庭園そして法金剛院庭園は庭園史を眺めていく上で外す事ができない庭だと考えました。
 嵯峨院址大沢池庭園は、嵯峨天皇が弘仁年間(810~24)に造営された嵯峨離宮の苑池の一部で中国の洞庭湖になぞらえて造られました。そのため庭湖とも呼ばれ、作庭当時は泉・滝・名石等の美を極めた庭でした。その後の荒廃により当初の姿は失われていますが、現在でも北側の池畔に菊島や天神島、そして巨勢金岡が置いたとされている庭湖石などを見ることができ、この池が人の手によって築かれた林泉であることが分かります。また、池畔は視界が開けており、作庭意図通り大陸的雰囲気を感じることもできます。北東には名古曽の滝跡は整備され、かつての離宮の姿と大沢池の関係が分かりやすく説明されています。大沢池自体はそれほど大きな池ではありませんので、大覚寺からの眺望だけでなく、是非池の周囲を1周してその美しさを鑑賞してください。

 また近代庭園を5つ選びました。重森三玲の東福寺龍吟庵と泉涌寺善能寺、小川治兵衛の平安神宮神苑、中根金作の城南宮と御香宮です。
 東福寺龍吟庵は通常非公開ですが春と秋の2回だけ特別公開が行われています。なかなか拝観が難しいかもしれませんが都合をつけても見るべき名庭だと思います。異なった色彩の砂を使用した枯山水の庭は古刹には華やか過ぎるような気もします。しかし紅葉の時期に訪れると作者の選択が適切であったことに気がつかされます。生垣まで意匠を凝らしたことにより、巨石を用いずとも立体感のある庭となっています。特に国宝に指定されている方丈建築と庭との関係を見ると、この仕事が作者にとっても難しいものであったことが分かるような気がします。

 東福寺龍吟庵の近くに同じ重森三玲の泉涌寺善能寺があります。泉涌寺善能寺は何度か訪問しましたが、いつも人気がなく閑散としております。写真撮影をする上では歓迎すべき状況ですが、なんとなく勿体無い様な気がしております。またこの庭を管理している人も見かけません。そのため石組の近くまで寄っても怒られることもないようです。もともとは池泉となっていたにもかかわらず、訪問した頃には既に水を張らないようになっていました。どうも庭の手入れもあまり為されていないようです。
 なんとなく人手から離れつつある庭であっても、この庭は力強い印象を与える。むしろ綺麗に維持管理されていないために、重森三玲が意図した石組の造形力が前面に出てきたのかもしれない。ただし現在の状態が長く続くとは思えません。庭を護るために最低限の維持管理は行っているとは思いますが、よろしくお願いします。

 平等院庭園、法金剛院庭園そして渉成園庭園を訪問して気がついたことは、都市化が進む中で庭園としての景観を護ることの難しさです。既に国宝の平等院鳳凰堂の背後にマンションが入り込むような事態になっております。法金剛院の苑池からも隣接する集合住宅の塔屋が良く見えます。中心部にある渉成園では、どの角度から撮影しても事務所ビルが写り込んでしまいます。さらには京都タワーを借景にしたビューポイントも存在します。
 今まで庭園内の景観を護るために、隣地境界線沿いに高木を配してきた例を多く見てきました。小川治兵衛の作庭した白河院(076)など訪れた時の第一印象は「暗い庭」でした。本来ならば東山を借景にした開放的な庭であったはずです。しかし隣地の建物を避けるために植栽の成育を止めずにきたため、作庭意図の大切な借景を失うことになっています。これは庭を所有する個人が行える限界に既に達していることの証です。
 京都市も200年に新景観条例を作りました。いろいろ毀誉褒貶があるようですが、この難問に対応する姿勢は評価いたします。世界遺産の14社寺を含む38ヶ所に視点場を設け、眺望や借景保全のため建築物の高さやデザインを規制することは市民の合意を得るまでに、まだまだ時間を要するのではないかと思います。それでも今から手がけなければ、建物の建替えが行われる50年後も事態は変わりません。これからは景観を護ることによって得られる付加価値を経済的な尺度で示すことによって、容積率的な経済原理に歯止めをかけてゆかなければならないでしょう。

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