御辰稲荷神社
御辰稲荷神社(おたついなりじんじゃ) 2008年05月17日訪問
積善院と須賀神社の前から、再び丸太町通に戻る角に、小さなお稲荷さんがある。ここが御辰稲荷神社である。
祭神は本社 宇迦之御魂神、猿田彦神、天宇受賣神。末社・初辰大明神社は初辰大明神。末社・福石大明神社は福石大明神。
聖護院の森の神の霊夢を見た新崇賢門院は、宝永2年(1705)東山天皇の勅許により御辰稲荷神社は創祀される。
新崇賢門院は延宝3年(1675)櫛笥隆賀の娘として生まれている。東山天皇の後宮に入り、新大典侍となる。中御門天皇と直仁親王および3皇子1皇女を生む。直仁親王は、世襲親王家の一つ閑院宮家を創設する。直仁親王から2代下った師仁親王が光格天皇となり、その皇統が現在まで続いている。このことについては、京都御苑の中で現在公開されている閑院宮邸や閑院宮典仁親王の廬山寺陵がある廬山寺の項でも触れているので興味があればご参照下さい。。東山天皇退位後は、新崇賢門院は一条局、四条局と称する。宝永6年(1709)35歳で死去。翌年従二位を追贈され、准三宮院号をうけている。
新崇賢門院の夢枕に立ったと言われているのは、茶の湯と碁の好きな宗旦狐と並ぶ、琴を得意とする風流狐・お辰狐とされている。伝承では、御所の辰の方角の森に自分を祀るよう言い残して消えた。狐の言うとおり聖護院の森に小祠を建て御辰稲荷と呼んだ。御辰の辰は、達成の達に通じると、願望成就に人々の信仰を集める。
また境内に祀られる福石大明神の伝承では、御辰稲荷を深く信心する妻が百日参りの満願の日に真っ黒い石を御辰稲荷から授かり、その妻は女の子を産み夫婦は幸せになった。それが人々の間に伝わり、真っ黒な石を持ち、福石大明神に幸運を祈願すれば願いが叶うという。
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